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山本周五郎・日本婦道記『風鈴』【富貴を望まず平穏に生きる!】

一読三嘆、名著から学ぶ
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はじめに【個人的「不満」への対処法】

 「今現在、自分の置かれている環境に不満を持っている方、手を挙げて下さい。」
とある大学で生徒に向けてこんな質問をしたところ、80%以上の生徒が手を挙げたそうです。

 とある大学といっても、世間的には羨望の目で見られている大学のはなしです。
「不満」=それは向上心の裏返しかもしれません。が、大学教師曰く 「“ 大学で勉強ができる ” というだけでも、恵まれているというのに。」だそうです。

 これは大学だけのはなしではありません。職場においても不平不満を口にしてしまうことがあります。これはわたし自身にも言えることです。大学教師の言葉を借りたら “ 仕事があるだけでも恵まれている ” のにです。

 現状に満足できないときほど、自分自身をふり返る必要があるでしょう。わたしもそんなとき、読書を通して自分自身をふり返る時間を作るようにしています。

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山本周五郎・日本婦道記『風鈴』【富貴を望まず平穏に生きる!】

山本周五郎とは?

 山本周五郎(しゅうごろう)(本名、清水三十六(さとむ))は、市井(しせい)に生きる庶民の暮らしや、武士の苦衷(くちゅう)を描いた、時代物・歴史物で知られる小説家です。(1903-1967)

 山本周五郎は山梨県に生まれますが、度重なる水害に襲われ、一家は東京都、そして横浜市と転居を繰り返します。横浜市の西前小学校卒業後、東京木挽町の山本質店で住み込みとして働きますが、関東大震災によって質店が被災してしまいます。

 その後、職を変えながら執筆をし、『須磨寺附近』(1926)が『文藝春秋』に掲載されます。掲載後、少年読物,大衆小説を発表し続け、一躍人気作家の仲間入りを果たします。昭和17(1943)年、第17回直木賞に『日本婦道記』が選ばれますが辞退します。

 以後、『柳橋物語』『寝ぼけ署長』『栄花物語』『樅ノ木(もみのき)は残った』『赤ひげ診療譚(しんりょうたん)』『五瓣(ごべん)の椿』『青べか物語』『虚空遍歴』『季節のない街』『さぶ』『ながい坂』と死の直前まで途切れなく傑作を発表し続けます。

 昭和42(1967)、肝炎と心臓衰弱のため死去します。(享年64歳)
大衆文学の質を高めた功績を記念し、1988年、新潮社などにより山本周五郎賞が発足しました。


  山本周五郎

山本周五郎『雨あがる』【心優しき世渡り下手へのエール!】

日本婦道記(にほんふどうき)とは?

 日本婦道記は、昭和17(1942)年から昭和18(1943)年にかけて雑誌『婦人倶楽部』に掲載された、山本周五郎の作品群のことで、江戸時代の武家の女性たちを主人公に描かれています。後に独立した作品を集めて単行本にしました。

 ちなみに現在は、講談社・新潮社どちらからも31編全てを収めた完全版が出版されています。


―以下作品群―

『松の花』『梅咲きぬ』『箭竹』『笄堀』『忍緒』
『春三たび』『不断草』『藪の蔭』『糸車』『尾花川』
『桃の井戸』『おもかげ』『墨丸』『二十三年』『萱笠』
『風鈴』『小指』『襖』『障子』『阿漕の浦』
『頬』『横笛』『郷土』『雪しまく峠』『髪かざり』
『菊の系図』『壱岐ノ島』『竹槍』『蜜柑畑』『二粒の飴』
『花の位置』

『風鈴』あらすじ(ネタバレ注意!)

 主人公の弥生のもとに、他家へと嫁いでいる二人の妹が揃って訪ねてきます。名前は次女が小松、三女が津留(つる)といいます。弥生の部屋に通された妹たちは、何やら楽しそうです。

 小松は、西側の小窓に吊るされている風鈴を見て、「元のままですのね。」と、言いました。津留がその風鈴を外すと、小松は妹の手から風鈴をとりあげます。そして「なにもかも昔どおりなの。」と、繰り返すように言います。

 津留が「このお家には娘らしい華やかな色彩がないのよ。」と同調すると、小松は「つまり若さが無かったことなのよ。」と風鈴をりりりりと鳴らしながら言います。

 その後、妹たちがお互いの暮らしぶりの派手さについて言い合っているところに、弥生は「ご用というのはなに?二人とも肝心な話を先に(おっ)しゃいな。」と、言葉を()(はさ)みました。

 小松は持っていた風鈴を箪笥(たんす)の上にのせ、姉のそばに来て座りながら「わたくしたち三人で、栃尾(とちのお)(いで)()へ保養に行きたいと思いますの。そのお誘いにあがったのですけれど。」と、言いました。

 弥生は「なにをのんきなことを仰しゃるの。」と、その誘いを断ります。ほどなくして津留は帰って行き、一人残った小松は弥生に言います。―――「お姉さまはこのままで、一生を終っていいのでしょうか。」

 明くる日、弥生が掃除をしているとき、箪笥の上に風鈴があるのを見つけます。弥生はそれを箪笥の引き出しにしまい、過ぎ去った二十九年という年月を幾たびも思い返すのでした。

 父親が他界したのは、弥生が十五歳の時でした。小松は十一で、津留は九歳です。この数年前に母親も亡くしていたので、家のこと、妹たちのこと、何もかもが弥生一人の肩にのしかかったのです。

 武家のならいとして、後継ぎがいなければ家名は絶えてしまいます。そこで同じ家中の松田()兵衛(へえ)の次男・(さん)()衛門(えもん)を夫に迎えました。そして、苦しい生活の中でも二人の妹たちのために必死で心を砕いてきたのです。

 そんな弥生の頑張りも報われ、妹たちは賢く美しい娘に成長し、さらには良縁にも恵まれました。けれども妹たちも少しずつ変わっていきます。貧しい実家を恥じるようになっていったのでした。

 そのうえ婚家から弥生の夫・三右衛門に、「推挙するから役替えをする気はないか。」といった相談まで出てくるようになります。しかし夫は、「現在のお役は自分の性に合うから。」と、断ったのでした。

 これらのことを思い返すたびに、弥生は、(これまで自分のしてきたことは無意味だったのか?)といった疑念に駆られます。そして(苦しい日々のまま、自分の一生が経ってしまう。本当にこれでいいのだろうか)と、溜息を漏らしながら思うのでした。

 それ以来、弥生は物思いに耽るようになっていきます。気休めに部屋の模様替えをしたり、薄くですが化粧も始めてみました。けれども結局は、苦しい家計の中では長く続きません。そして前以上に思い悩むようになっていったのです。

 そんなある日、小松が久しぶりにやって来て、「津留と二人で栃尾の湯泉に行ってまいりました。」と告げ「お姉さまも次には是非。」と言います。弥生は「わるい方たちね……。」と言いながらも、内心では(そんなことができたらどんなに楽しかろう)と思うのでした。

 そのとき、勘定奉行の岡田(しょう)兵衛(べえ)という老人が夫の三右衛門を訪ねて来ました。小松は「あのはなしですわ、きっと。」と、声をひそめて言いました。

 弥生がお茶を持って行くと、二人は、夫が日夜調べている、飢饉のことが書かれてある書物について話していました。弥生の胸は(もしや “ 役替えの話 ” では?)と騒いでいましたが、その後は碁を打っている様子です。

 弥生は何となく落ち着きません。思わず二人の話し声に、耳が惹きつけられてしまいます。けれども、二人はいつまでも楽しそうに石の音を立てています。弥生は(きっと思い過ごしなのだわ)と思い、何やら裏切られたような気持ちになりました。

 それからしばらく経ってからのことです。「奉行所」という老人の声が聞こえてきました。弥生は耳を澄まします。確かに老人は夫に、役替えを勧めているようでした。

 やがて三右衛門が静かに話し始めます。「推挙してくれる人たちは、いつまでも貧寒(ひんかん)でいる私が気の毒に見えるのです。貧しいよりは富んだほうが望ましいことは確かです。しかし思うように出世をし、富貴と安穏が得られたら満足をするでしょうか。」

 弥生の顔は強張ります。三右衛門は続けて「おそらくそれだけで、満足を感じることはないでしょう。人間の欲望には限度がありません。富貴と安穏が得られれば更に次のものが欲しくなるからです。」

 さらに三右衛門は力強い声で「大切なのは身分の高下や貧富の差ではありません。人間として生れてきた以上、意義があり、世の中のためにも少しは役に立つ仕事をしてゆきたいと思います。」と、語りました。

 その夫の言葉に弥生は、一筋の光が与えられたような気がします。妹たちの裕福な暮らしぶりを(うらや)んで、それが充実していて、いかにも意義があるかのように考えた自分の浅はかさを恥じます。

 弥生は「少なくとも、夫や子供にとってかけがえの無い存在になろう。」と、決心をします。そして立ち上がると、箪笥の中から風鈴を取り出して、また元の小窓に吊るしたのでした。

青空文庫 日本婦道記『風鈴』 山本周五郎
https://www.aozora.gr.jp/cards/001869/files/57813_70187.html


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あとがき【日本婦道記『風鈴』の感想を交えて】

 雑誌『婦人倶楽部』に日本婦道記が掲載されたのは、昭和17(1942)年から昭和18(1943)年にかけてですので、いわゆる戦時下の頃でした。当然のように軍部の検閲(けんえつ)もあったでしょう。“ 婦道 ” という単語も、もしかしたら軍部からの圧力だったのかも知れません。

 さて、そのことはさておき、『風鈴』の主人公・弥生の葛藤は、性別関係なく現代に生きる誰もが抱く葛藤だと思います。わたし自身もまた将来への不安から、栄達を望んだこともありました。

 資本経済の中で生きていくには当たり前のことです。けれども、多くの人間はそれ以上のことまでも望んでしまいがちです。三右衛門が言ったように “ 人間の欲望には限度がない ” からです。

 誰が最初に言い出したのか知りませんが、わたしの嫌いな言葉に「強者と弱者」という言葉があります。何を持って強者と弱者に区別をするのかは、一般的に “ 富貴(ふうき) ” のことを意味します。

※ 富貴(ふうき)富んで尊いこと。財産が豊かで位の高いこと。

 けれども人間の価値は、決してそのようなものでは計れません。今このとき、誰かのために身を捧げている人こそが本当の強者なのです。農民のために尽くす三右衛門しかり、家族のために生きる弥生しかり。

 『風鈴』という物語は、そんな当たり前のことを、いつもわたしに教えてくれます。

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