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岡本かの子『鮨』あらすじと解説【呼応し合う二人の孤独感!】

一読三嘆、名著から学ぶ
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はじめに【「孤独」という感情について】

 「孤独なとき、人間はまことの自分自身を感じる。」―――これはロシアの小説家・トルストイの言葉ですが、実際に「孤独」な感情に(さいな)まれたとき、自分自身を見つめるどころか、とにかく誰かに救いを求めてしまうものです。

 例え家族や友人、恋人がいようと「孤独」といった感情は湧き起こります。それは権力や栄光を手にした人間にも分け隔てなく起こりうるものです。トルストイのような芸術家はそんな厄介な感情を逆手に取って作品を生み出します。

 けれども、わたしを含めた多くの人間は、人の「心」と「心」を通い合わすことでしか解消されません。現実的に今も「孤独」を埋めようと何億人もの人間が足掻いていることでしょう。―――「あなた」一人だけが「孤独」ではないのですから。

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岡本かの子『鮨』あらすじと解説【呼応し合う二人の孤独感!】

岡本かの子とは?

 大正、昭和期にかけて活躍した小説家・歌人・仏教研究家です。(1889~1939)
岡本かの子(本名:岡本カノ、旧姓:大貫カノ)は、明治22(1889)年3月1日、東京に生まれます。生家は代々幕府や諸藩の御用達を(なりわい)としていた豪商の大貫家です。

 跡見女学校入学の頃より、次兄・大貫(おおぬき)(しょう)(せん)の影響を受け、『文章世界』『読売新聞』文芸欄などに短歌や詩を投稿するようになります。同女学校卒業後は与謝野(よさの)晶子(あきこ)に師事し、歌人としての道を歩み始めます。

   与謝野晶子

 明治43(1910)年、画家の岡本一平と結婚し一男を儲けますが、実家の没落や夫婦間の対立などで悩み続け、以後は宗教に救いを求め、仏教研究に没頭するようになっていきます。

 それから10年ほど仏教思想家、歌人として活躍しますが、昭和11(1936)年、芥川龍之介をモデルにした小説『鶴は病みき』を川端康成の推薦で『文学界』に発表します。

   川端康成

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 その後、発表した『母子叙情(じょじょう)』は大きな反響をよび、続けて『花は(つよ)し』『過去世』『金魚(りょう)(らん)』『老妓抄(ろうぎしょう)』『()(れい)』など次々と名作を発表していきます。しかし、昭和13(1938)年12月、脳充血に倒れ、翌年2月18日に亡くなってしまいます。(没年齢・49歳)

 かの子が小説に専心したのは晩年の数年間だけで、死後、『河明り』『生々流転』『女体開顕』などの遺稿が発表されます。ちなみに洋画家・岡本太郎は、岡本一平、岡本かの子の一子です。

   岡本かの子

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短編小説『鮨』(すし)について

 短編小説『鮨』は、岡本かの子が永眠する一ヶ月前、昭和14(1939)年1月、『文芸』に発表されます。鮨屋を舞台に看板娘のともよと、常連客の湊との交流が描かれています。

『鮨』あらすじ(ネタバレ注意!)

 主人公の「ともよ」の家は鮨屋で、東京の下町と山の手の境い目に店を構え、とても繁盛をしていました。ともよの父親である鮨屋の主人は、元々東京でも屈指の鮨屋で修行を積んだ職人で、主人の握る鮨目当てに色んな職業の人間が常連として通って来ます。

 ともよは女学校時代、鮨屋の娘ということが恥ずかしくて、どこか孤独な感情を抱いていました。それは家庭においても同様です。父と母は、夫婦間で喧嘩をするような事はありませんでした。けれども、それぞれが気持ち的に独立していたのです。

 それでも両親は、一致して、ともよへの教育だけには熱心でした。(自分は職人だったからせめて娘は)と、そんな気持ちです。無邪気に育てられ、表面だけ世事(世間の事)に通じ、そして孤独的なものを持っている。―――これが、ともよの性格でした。

 また、同級生の男子に対してずばずばと応対したり、女の子らしい恥じらいの態度がない事で、一時期は女学校の教師の間で問題になったことがありましたが、(商売柄そういう女の子になったのだ)と分かり、教師たちの疑問も解けます。

 ともよは、鮨屋という家業について、それを義務とも辛抱とも感じていませんでした。その程度の看板娘だったのです。そんな鮨屋の常連客の中に、湊という五十過ぎの紳士がいました。湊は客の中でも異質で、店ではいつからか「先生」と呼ばれていました。

 ともよの父親も自然と他の客とは違う対応をします。湊の鮨の食べ方は決まっていました。(まぐろ)の中トロから始め、だんだんあっさりとした青魚に進み、玉子と海苔巻きに終わるのです。ともよは最初、湊のことを(窮屈な客)と思っていましたが、交流を重ねるにつれ、気になっていくようになります。

 湊の時折見せる微笑が、ともよには(自分をほぐしてくれる、なにか暖味のある刺激)のように感じるのです。挙動も気になります。余りお酒が飲めない湊に他の常連客がお酒を勧めると、ともよは「もう、よしなさい」と、盃をひったくります。―――妙な嫉妬がともよに、そうさせるのでした。

 ある日、ともよは、父親から頼まれた河鹿(かじか)を買いに行った先で、店を出て行く湊の姿を見かけます。ともよは急いで用を足すと湊に追いつきます。そして二人は空き地を見つけ、その場所で会話をすることにしました。

※河鹿(かじか) カジカガエルの別名。鳴き声が鹿に似るところから「河鹿」と呼ばれるようになる。

 そして、以前から湊に色々と訊いてみたい気持ちのあったともよは、何を言おうか暫く考えた末に、「あなた、お鮨、本当にお好きなの?」と、大した思い付きでも無いようなことを言い出します。すると湊は、自分自身の少年時代のことを回想し始めたのでした。

 湊は、裕福な家の次男として生まれます。両親と兄と姉、そして召使いが一緒に暮らしていましたが、家の中で湊は、おかしな子供と言われていました。それは、肉や魚はおろか野菜までも食べられないという、ひどい偏食(へんしょく)だったからです。

 実際、当時の湊には食事が苦痛でした。体内に色、香り、味のある(かたまり)を入れると身体が(けが)れるような気がしたのです。いつからか子供は「お母さん。」と、本当の母親ではなく、架空の母親の名を呼ぶようになっていきます。どこかに他の母親がいるような気がするのです。

 その声を聞いた本当の母親は「はあい」と返事をし、湊に「後生だから、ご飯を食べておくれ。」と、言います。こういった心配の挙句、母親は、子供に一番合う食べ物――― “ ()り玉子と浅草海苔(のり) ” を見出したのでした。

 湊は、家の中だけではなく学校でも別もの扱いされていました。勉強はよくでき優秀な生徒でしたが、余りにも痩せていたので、「家庭で衛生の注意が足りないからだ。」という話が持ち上がったのです。それを聞いた父親は、母親に意地悪く当たりました。

 母親は畳の上に手をついて、子供に向かって頭を下げます。―――「どうか頼むから、食べるものを食べて肥っておくれ。」そんな母親の姿に罪の意識を感じた子供は(何でも食べてみよう!)と決心するのですが、食べると同時に吐いてしまうのでした。

 その翌日、母親は湊に鮨を握ってあげます。最初に握ったのは玉子焼きの鮨でした。それを食べた瞬間、子供の身体には、おいしさと親しさが湧いてきます。子供は「美味しい!」と言う代わりに、にいっと笑って、母親の顔を見上げたのでした。

 それから母親は続けて、イカや鯛やヒラメの鮨を食べさせます。(自分は、魚が食べられたのだ……)と、気付いた子供は、食に対して始めての歓びを感じます。そして子供はふと(内緒で呼んでいる母は、やはりこの母親だったのかしら?)と、思います。

 その後、母親の手製の鮨で慣らされていった子供は、次第に他の物も食べられるようになっていきます。身体も見違えるほど健康になり、中学に入学する頃には、美しく逞しい少年へと変貌を遂げていたのでした。

 すると、今まで冷淡だった父親が少年に興味を持ち出し、いい道楽者に仕立て上げようとします。母親はそんな父親を狂気のようになって怒りますが、それは(家が傾いていく鬱積(うっせき)を夫婦の争いで晴らしているのだ)と、少年は思い至るのでした。

 それでも少年は、中学から高等学校へと苦もなく進み職を得ます。やがて家は潰れ、両親や兄姉が相次いで亡くなりますが、頭の良かった湊は、どこへ行っても相当に用いられます。けれども何故か、栄達というものを望みませんでした。

 二度目の妻が亡くなり、五十近くになった時、湊は投機でかなり儲け、それを機に職業を捨てます。それからは、一箇所に留まらぬ生活が始まったとのことでした。

 湊の長い回想を聞いたともよは「それで先生は鮨がお好きなのね。」と、訊ねます。すると湊は「近頃、年をとったせいか、しきりに母親のことを想い出すのでね。鮨までなつかしくなるんだよ。」と答えたのでした。

 湊はその後、ともよの鮨屋に姿を見せなくなります。不思議がる常連もいましたが、やがてすっかりと忘れられてしまいます。ともよもまた、湊を思い出す度に「先生は何処かの鮨屋へ行ってらっしゃるのだろう。鮨屋はどこにでもあるんだもの。」と、考えるに過ぎなくなったのでした。

青空文庫 『鮨』 岡本かの子
https://www.aozora.gr.jp/cards/000076/files/1016_19596.html

『鮨』【解説と個人的な解釈】

 ともよは、鮨屋の看板娘でありながら家業に対し、特別な思い入れなどありませんでした。それは世間から常に、鮨屋という職業への差別意識を感じていたからに他なりません。ともよ自身も家業を「恥」と捉えていました。

 結果的にともよは女学校、そして家庭でも「孤独感」を抱くようになっていきます。一方、湊もまた偏食が理由で「孤独感」を抱える少年時代を送ってきました。ともよが湊という人間に惹かれていくのは、どこか自分と似たところを湊に見出したからでしょう。

 ともよは、湊の回想によって、嫌悪の対象であった「鮨」が、湊にとっては亡き母の追慕の対象だったと知ることになります。それは「鮨」の負の部分ばかり見ていたともよに、正の部分の気付きを与えます。

 ともよの鮨屋は、東京の下町と山の手の境い目に店を構えています。そして現在は繁盛しています。一方、湊の家は没落したと対比的に描かれています。この部分に作者の意図が見えるような気がします。

 “ 下町と山の手の境い目 ” ―――つまり本作品は、繁栄と没落の境い目を強調することで、時代の波にどちらへ流されるか分からないという現実を読者に突き付けています。そんな中において、母親の子への愛情を鮮やかに描き出しているところが本作品の素晴らしさだと思います。

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あとがき【『鮨』の感想を交えて】

 作者・岡本かの子の実家も没落した旧家でした。そして結婚後も夫婦間の対立で悩み続けていました。その挙句、強度の神経衰弱で入院し、退院後は宗教に救いを求めたのは有名な話です。

 つまり、かの子自身も「孤独」を感じていたのです。そんなかの子の支えは一子・太郎の存在です。つまり『鮨』という作品に登場する湊と、湊の母親に、自分の姿を投影させていると考えることもできます。

 繰り返すようですが「孤独」な感情は、自分一人では埋めることはできません。かの子にとって太郎がそうだったように誰かの存在が重要な鍵を握ります。ところが、その誰かを得ること自体難しい作業なのは、わたし自身も身に染みて感じています。

 そして、そこでつまずき、「孤独」のスパイラルにはまっていくものです。それを阻止するにはやはり、声を上げるしかないでしょう。きっと気付いてくれる誰かに遭遇します。何故ならーーー誰もが皆「孤独」な感情を抱いているのですから。

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