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安部公房『事業』あらすじと解説【道徳をよそおうことが道徳!】

一読三嘆、名著から学ぶ
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はじめに【日本・戦後の食料難】

 大東亜戦争(太平洋戦争)が終わった直後の日本では、食べ物が不足し、飢えに苦しむ人たちが街中にあふれていたと言われています。特に自分で農作物を作れない人は政府からの配給だけが頼りでした。

 米は戦時中に作られた「食糧管理法」という法律で厳しく管理され、農家は自分で食べる分以外は全て政府に売り渡すという決まりでした。米を隠していると強制的に取り上げられます。

 配給だけで足りない都市部に住む人は法を犯して農村に米を買いに行きます。違法に取引される米は「やみ米」と呼ばれていました。お金を持っていた人はまだ良いほうで、何も持たない人々は色んな物を工夫して食べていたようです。

 例えばミカンの皮やトウモロコシの芯、カボチャやスイカの種、またはサナギ、イナゴやバッタという昆虫類、中にはネズミまで食べられていたと言います。

食糧管理法(しょくりょうかんりほう)

国民の食糧の確保および国民経済の安定を図るため、食糧を管理し、その需給・価格の調整、流通の規制を行なうことを目的とする法律。米穀の強制買上、売渡、配給計画などについて規定する。昭和一七年(一九四二)制定。

出典:精選版 日本国語大辞典
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安部公房『事業』あらすじと解説【道徳をよそおうことが道徳!】

『事業』は短編集『壁』(新潮文庫)に収められています。

安部公房(あべこうぼう)とは?

 安部公房(本名・公房きみふさ)は、昭和から平成初期にかけて活躍した日本の小説家・劇作家です。(1924~1993)

 安部公房は、大正13(1924)年3月7日、東京府北豊島郡滝野川町(現・東京都北区西ケ原)に生まれます。生後8ヶ月で家族と共に満州に渡り、幼少期から少年期にかけて奉天で過ごします。

 昭和15(1940)年、日本に帰国し、旧制成城高等学校 (現・成城大学) 理科乙類に入学します。昭和18(1943)年、東京帝国大学医学部医学科に入学します。奉天帰省時、そこで敗戦を迎えます。

 帰国後の昭和23(1948)年に東京帝国大学医学部を卒業しますが、医師の道は目指さず作家を志します。『終りし道の(しる)べに』で作家としてデビューします。昭和26(1951)年、『壁 - S・カルマ氏の犯罪』で第25回芥川賞を受賞し、以後数々の人気作を発表していきます。

 世界的に評価が高く、昭和43(1968)年にはフランス最優秀外国文学賞を受賞しています。特に東欧において高く評価され、西欧を中心に評価を得ていた三島由紀夫と対極的とみなされていました。

 平成4(1992)年、急性心不全により死去します。ノーベル文学賞に最も近かった作家の急逝でした。(没年齢・68歳)他に代表作として『けものたちは故郷をめざす』『石の眼』『砂の女』『箱男』『他人の顔』『榎本武揚』等があります。

   安部公房

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短編小説『事業』(じぎょう)について

 安部公房の短編小説『事業』は、昭和25(1950)年に「世紀の会」の機関誌『世紀群』№5で発表されます。昭和26(1951)年5月、月曜書房より刊行された作品集『壁』に収録されます。

『事業』あらすじ(ネタバレ注意!)

物語は、「偶然の神」を信仰する主人公の「私」が、「貴下」に対して、新たな事業への協力を願うといった書簡の形式で進行します。

 聖プリニウスは “ 偶然こそわれらの神である ” と言いました。私もまたこの神を信じるものです。事業こそが帰依(きえ)のあかしで、事業家は偶然の祭壇(さいだん)司祭(しさい)です。われら事業家はこの神の庇護ひごによってやがて世界を支配するに至るでしょう。

※帰依(きえ) 神仏や高僧を深く信仰し、その教えに従い、その威徳を仰ぐこと。帰信。
※司祭(しさい) カトリックや正教会での神父のことを指す。「ファーザー」「司教」などとも呼ばれることもある。
※庇護(ひご) かばってまもること。

 私の事業は食肉加工です。この貧困な国において、ネズミを原料に企業として大量生産に成功したのは私が最初でしょう。私はネズミを品種改良し、肥大化させて、今や60センチに至ろうとしています。

 何も言わなければ彼らは、ネズミ肉ソーセージだと気付きません。ソーセージは食品として完成していれば充分なのです。それ以上のことは大衆にとって無用の知識であり、いたずらに混乱におとし入れるだけでしょう。

 道徳をよそおうことが道徳―――わが神の言葉です。
さて、ここで問題が現れたのです。飼育係がネズミに襲われ、食い殺されるという事件が起きたのです。ネズミどもは荒々しくなり、(おり)を破って私の住居までも襲おうとしました。

 幸いに私は神の加護(かご)により無事でしたが、妻子と何人かの使用人がネズミの(きば)にかかりました。中にはこれを天罰と言いふらす者もいました。私は数日を深い瞑想(めいそう)のうちに送ります。そしてこれが天罰はおろか神の啓示(けいじ)であったことを発見したのです。

※啓示(けいじ) 神または超越的な存在より、真理または通常では知りえない知識・認識が開示されることをいう。

 たちまち私は事業家としての本来の自分に立ち返っていました。()ず第一にしたことは妻をはじめとした六人の死体を技師に命じてソーセージにすることでした。各界の代表者を招いた試食会は大成功で、五つの大商社から注文を受けました。

 むろんその原料については誰も知りませんでした。繰り返すようですが―――道徳をよそおうことが道徳なのです。貴下にはすでにお気付きのことでしょうが、ネズミ肉から、より豊富で採取に便利な人肉に切り替えたというわけです。

 とりあえず私は我が国のすべての死体が火葬場に行く前に私の工場を通るよう、所轄(しょかつ)の大臣に申請し、金銭上の条件をつけて認可を得ました。ところで貴下は、この新しい事業を反道徳的と考えられるでしょうか?

 念のために一言申しておけば、われらに偶然の神に律された道徳以外、いかなる道徳がありえましょう。元来神によって無料で奪われるはずのところを、われらの手によって有料化されるのですから。この事業こそ、反道徳はおろか、社会事業であると言えるのではないでしょうか?

 さて、長々と前置きしましたが、私のこの事業はその後目ざましい発展をとげ、ついに原料不足に至りました。ここに至って残されているのは、殺人……生きた人間を蛋白源(たんぱくげん)として採集する以外にないことを貴下ならばお認めのことと思います。

 そこで哲学を学び、冷徹(れいてつ)なる合理精神の所有者であり、有能なる探偵小説家である貴下の御出馬(ごしゅつば)をわずらわしたいわけなのです。「生物を殺すのは直接食うことを目的とした場合は罪ではない」というキリストの教えが決定的でした。

※出馬(しゅつば) 地位の高い人などが、その場に出向いて事に臨むこと。

 この教えによってついに、殺人も、それが手段ではなく直接(しょく)(よく)に動機をもっていれば、罪悪にならないことが認められたのです。これはもっとも厳しい宗教上の(おきて)においてのことなのです。

 一方人間の掟では、正当防衛による殺人を正当と認め、戦争すら承認しているではないですか。偶然の神はこう教えました。正義は合理精神によってつねに奪う者の側にあるのだと。私は近く食用を目的とする殺人の合法化を大臣に申請するつもりです。

 殺人の手段についてはほぼ私案(しあん)ができています。豚の屠殺(とさつ)工場を参考にして、生きたままの人間を機械の自動操作により、機械から出て来たときにはソーセージになっているという方法を発見したのです。私はこの機械をユートピヤと名づけました。

※屠殺(とさつ) 家畜など動物を食肉・皮革などにするため殺すこと。

 私はユートピヤを大々的に宣伝して、食用として以外にはなんの値打ちもないような人間共を自発的におびき寄せようというつもりなのです。とりわけ宣伝は大事でしょう。そこで貴下の絶大なる手腕に期待をかけているのです。

 ユートピヤ入場希望者からは、相当額の入場料が徴収されなければなりません。これはわれわれの儲けを二重にするという利益があるばかりではなく、心理的に入場希望者の入場慾をそそるというものです。

 さて、余談でした。具体的にはまだ多くの問題が残されています。そこで申請書を作成する前に貴下の賢明なる忠告と協力をねがいたいと思う次第です。ねがわくは、近いご来訪をお待ちします。

 当日のメニューには、腹にバターと香料をつめ、蜜につけた六カ月の胎児の丸焼きが用意されるであろうことを、お誘いの言葉として申しそえておく次第です。

「彼の中の彼」殿

『事業』が書かれた社会背景【プレスコードとレッドパージ】

 敗戦直後の昭和20(1945)年9月、GHQ(連合国最高司令官総司令部)は、プレスコード(Press Code:新聞・出版活動を規制するために発した規則)を発し、厳しい言論統制を行います。この規則は昭和27年、講和条約が発効されるまで続けられました。

 昭和25(1950)年、朝鮮戦争(1950~1953)が勃発します。この前後の時期、GHQは共産主義の思想・運動・政党に関係している者を公職や企業から追放するよう指示します。この一連の出来事をレッドパージ(Red purge:赤狩り)といい、約1万3千人が強制的に職場を解雇されました。

 このような状況下で昭和25(1950)年、安部公房は『事業』を執筆します。

『事業』【解説と個人的な解釈】

 (ねずみ)肉ソーセージの食肉加工事業を展開する「私」は、妻子と従業員の死亡事故から人肉を原料とした事業を思いつき、各国の代表者を招いた試食会を行うなどして、新事業は軌道に乗っていきます。

 その経緯を説明したうえで、人間をソーセージに加工する自動機械「ユートピア」を使った新事業への協力を「貴下」に願うといったあらすじとなっていますが、冒頭で書いたように、戦後の食糧難と、このチャンスを幸いにと横行する資本家たちへの皮肉を込めた作品と言えるでしょう。

 ちなみに『事業』が発表された昭和25(1950)年と言えば、安部公房が共産党に入党した年です。(昭和36年除名)つまり共産思想への傾倒を強くしていった作者は、資本主義がもたらすであろう、「食う階級と食われる階級」の危険性を警告したかったのだと考えます。

 また「私」という事業者の「偶然の神」への異常な信仰心が、全ての引き金となっていることを忘れてはいけないでしょう。資本主義も、キリスト教的習慣を受け継ぐことで、人々の道徳観を「金銭と権力」へと変化させ、経済と政治権力の独占を進めました。

 つまり、資本主義への反感だけでなく、資本主義に絡みつく宗教をも否定的な作品のように個人的には解釈しています。

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あとがき【『事業』の感想を交えて】

 物語で印象的なのは、ソーセージの材料が人肉だということを知っているのは「私」や政府の人といった限られた人間だという部分です。「道徳をよそおうことが道徳」―――消費者にバレなければ儲けのために何をしてもいいという訳です。

 そんな事業家は、某中古車販売会社を例に取るまでもなく、現代でもそこかしこに溢れています。日本では商売の哲学として近江商人の「三方よし」という言葉がありました。

 「商売において売り手と買い手が満足するのは当然のこと、社会に貢献できてこそよい商売といえる」という考え方ですが、今の世の中でこれを実践している事業家がどのくらいいるのか少々不安になる今日この頃です。

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