はじめに【「社会の歯車」という言葉】
「社会の歯車として……」―――学生の頃、そして社会人になり現在に至るまで、どれほどの人間から同じ文句を聞かされてきたか分かりません。そのつど「歯車」という言葉に違和感を覚えたものです。
当然ながら歯車は機械の一部品に過ぎず、破損して次の歯車と交換されるまで働き続けます。そこに意思というものは存在しません。この点に納得がいかず、ときには反論を試みようとしたものでした。
けれども反論する言葉さえも見つからず、いや、わたし自身の意思の弱さゆえか(そんなもんなんだろうな)と自分に言い聞かせながら毎日を送ってきました。そうです。歯車に徹して・・・。
だけども、たまにまた、そんな違和感がふっと顔を覗かせる瞬間があります。―――安部公房作品を読んでいるときに。
安部公房『棒』あらすじと解説【弱い人間は強い人間の道具?】
安部公房(あべこうぼう)とは?
安部公房(本名・公房きみふさ)は、昭和から平成初期にかけて活躍した日本の小説家・劇作家です。(1924~1993)
安部公房は、大正13(1924)年3月7日、東京府北豊島郡滝野川町(現・東京都北区西ケ原)に生まれます。生後8ヶ月で家族と共に満州に渡り、幼少期から少年期にかけて奉天で過ごします。
昭和15(1940)年、日本に帰国し、旧制成城高等学校 (現・成城大学) 理科乙類に入学します。昭和18(1943)年、東京帝国大学医学部医学科に入学します。奉天帰省時、そこで敗戦を迎えます。
帰国後の昭和23(1948)年に東京帝国大学医学部を卒業しますが、医師の道は目指さず作家を志します。『終りし道の標べに』で作家としてデビューします。昭和26(1951)年、『壁 - S・カルマ氏の犯罪』で第25回芥川賞を受賞し、以後数々の人気作を発表していきます。
世界的に評価が高く、昭和43(1968)年にはフランス最優秀外国文学賞を受賞しています。特に東欧において高く評価され、西欧を中心に評価を得ていた三島由紀夫と対極的とみなされていました。
平成4(1992)年、急性心不全により死去します。ノーベル文学賞に最も近かった作家の急逝でした。(没年齢・68歳)他に代表作として『けものたちは故郷をめざす』『石の眼』『砂の女』『箱男』『他人の顔』『榎本武揚』等があります。
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短編小説『棒』(ぼう)について
小説『棒』は昭和30(1955)年、『文芸』7月号に発表されます。昭和44(1969)年に『棒になった男』として戯曲化され、人気演目として現在まで国内外で多数上演され続けています。
※ 戯曲(ぎきょく) 演劇の上演のために執筆された脚本や、上演台本のかたちで執筆された文学作品。
『棒』あらすじ(ネタバレ注意!)
ある六月の日曜日のことです。デパートの屋上で、二人の子供の守りをしていた「私」は、手すりにへばりついて、雨上がりの街を見下ろしながら、ただぼんやりとしていました。
上の子供が、怒ったような声で、「父ちゃん」と叫びます。「私」は思わずその声から逃れようとして、手すりから上半身をのりだしてしまいます。するとその瞬間、ふわりと体が宙に浮いて墜落を始め、気が付いたとき「私」は、一本の棒になっていました。
棒になった「私」はまっしぐらに落ちていき、歩道と車道のあいだの溝につきささります。路上にいた人々は上をにらみ、「私」の子供の悪戯だと思った守衛が注意をしようと駆け上がって行きました。
ところが「私」は誰からも気付かれずに、そこにつきささっています。しばらくすると双子のように似た学生二人と白い髭の教授が「私」に気付きます。教授は学生二人に「君たちには、けっこういい研究材料だ。」と言いました。
それから教授は「さあ、この棒から、どんなことが想像できるだろうね。まず分析し、判断し、それから処罰の方法を決めてごらん。」と、二人の学生に課題を出します。
右側の学生は棒にしみこんだ手垢や傷に着目して「一定の目的のために、人に使われていた。」と言い「生前、誠実で単純な心をもっていた。」といった仮説を立てます。しかし左側の学生は「この棒は無能で、人間の道具にしちゃ下等すぎる。」と反論をしました。
その後、論争を繰り広げる二人に対し、教授は「君たちのいっていることを要約すれば、つまりこの男は棒だったということになる。そして、それが、この男に関しての必要にして充分な回答なのだ。」と、答えを示します。
ところが、納得のいかない右側の学生は「標本室で色んな人間を見たけど棒は初めてです。こういう単純な誠実さは、やはり珍しい。」と主張をします。けれども教授は「ありふれているので研究する必要をみとめないこともある。」と、説きました。
そして教授は「ところで、君たちは、どういう刑を言いわたすつもりかな?」と、学生たちに訊ねます。右側の生徒は「こんな棒にまで、罰をくわえるのですか?」と疑問を投げかけます。
それに対し、左側の学生は「当然罰するべきで、死者を罰するということで、ぼくらの存在理由が成立っているのです」と主張します。教授は「私(棒)」を手に取り、地面になにやら抽象的ないたずら書きを始めます。
いたずら書きはやがて怪物の姿になりますが教授はそれを消して、かつて「裁かないことによって、裁かれる連中」の講義をしたことを学生たちに思い出させ、「置きざりするのが、一番の刑罰なのさ。」と言い、「私」から手を放します。そしてそのまま三人は立ち去ってしまいました。
倒れて転がる「私」を誰かが踏んづけます。雨にぬれて柔らかくなった地面に「私」は、半分ほどのめり込んでしまいました。「父ちゃん、父ちゃん、父ちゃん……」という叫び声が聞こえます。その声は「私」の子供ようでもありますが、違うようでもあります。
―以下原文通り―
この雑踏の中の、何千という子供たちの中には、父親の名を叫んで呼ばなければならない子供がほかに何人いたって不思議ではない。
『棒』【解説と個人的な解釈】
小説の解釈の仕方というものは十人十色です。一人一人が独自の違う視点で読み解くからこそ面白いのです。そういう意味では安部公房の作品ほど、様々な解釈ができて、なおかつ読者の想像力を掻き立ててくれるものは少ないでしょう。
この作品は、主人公の「私」が棒になるところから始まります。いきなり(なぜ「私」は棒になったのか?)といった疑問を読者に投げかけるのですから困りものです。ここで読者は(何らかの罪を犯したからだろうか?)と考えます。
棒になった「私」も(自分は重大な何かをしでかしたのかもしれない)と、思い返しているのですが、その原因が思い当たらず、途方に暮れていきます。そんなとき、二人の学生と教授が登場し、この疑問が解けるかと思いきや、さらに物語は難解になっていきます。
二人の学生は棒について議論を始めますが、一人の学生は棒を「生前、誠実で単純な心をもっていた。」と言います。ここではっきりするのは、棒になるとはイコール死だということです。そしてもう一人の学生は「無能だった。」と反論します。
それを聞いていた教授は「この棒は、棒であった。」と言い、学生たちに処罰の方法を問います。ここで浮き彫りになってくることは、この三人が “ 死者を裁く側 ” にいることです。
そして棒になった「私」は裁かれることになるのですが、その刑罰は(裁かないことによって裁く)といったものです。教授は、生前は誠実で単純な心をもっていたという「私」を、裁く価値さえないと言っているのです。
つまり、誠実さや真面目さを美徳として考えるわたしたちの価値観とは180度違った世界が物語の舞台で、そこには別の倫理観が働いています。
安部公房の作品を読み解くには、一度わたしたちの固定観念を真っ白にする必要があります。そこが作者の狙いであり、また安部作品の面白さであるとわたしは考えています。
あとがき【『棒』の感想を交えて】
物語の最後、「この雑踏の中の、何千という子供たちの中には、父親の名を叫んで呼ばなければならない子供がほかに何人いたって不思議ではない。」と、締めくくられていますが、ここに全てのメッセージが込められているような気がします。
いくら真面目に働いても報われず、会社、そして社会から棒のように簡単に捨てられる人間がことのほか多いように感じます。つまり組織には必ず裁く側の人間が存在しているということです。
きっと「社会の歯車として」という言葉を最初に使ったのも裁く側の人間なのでしょう。けれども、わたしたちは人間なのです。何らかの役目を担っているのは否定しませんが、あくまで心を持った生き物なのです
ちなみに、役に立たない人のことを木偶の坊と呼びます。この言葉も何度か言われたことがありますが決して気分の良いものではありませんでした。なんせ、木偶の棒と覚えていたものですから。
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