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夏目漱石『夢十夜』【夢は本当に深層心理と関係があるのか?】

一読三嘆、名著から学ぶ
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はじめに【夢について】

 夢とは本当に不思議な現象です。

 子供の頃に、『夢占い』なる本を読んだことがあります。記憶的にぼんやりしていますが、確か見た夢とは真逆の事が起こるといった内容の本でした。例えば、恐怖体験をする夢は吉、幸福な夢を見たときは不吉なのだと。

 それを信じて行動をしていたのですから、我ながら純粋だったんだな、と改めて思います。夢のメカニズムが未だ解明されていないことは誰もが知るところでしょう。けれども、正夢、つまり予知夢というものはあると、どこかで信じている自分がいます。

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夏目漱石『夢十夜』

夏目漱石(なつめそうせき)とは?

 夏目漱石(本名は夏目金之助)とは日本の小説家、評論家、英文学者、俳人であり、明治末期から大正初期にかけて活躍した近代日本文学の頂点に立つ作家の一人です。(1867~1916)

 夏目漱石は慶応3(1867)年、江戸牛込馬場下(現在の新宿区喜久井町)に生まれます。帝国大学英文科(現在の東京大学)卒業後、松山中学、五高(熊本)等で英語教師となります。その後、英国に留学しますが、留学中は極度の神経症に悩まされたといわれています。

 帰国後は、第一高等学校と東京帝国大学の講師になります。明治38(1905)年、『吾輩は猫である』を発表し、それが大評判となり、翌年には『坊っちゃん』『草枕』など次々と話題作を発表し、人気作家としての地位を固めていきます。

 明治40(1907)年、東大を辞して、新聞社に入社し、創作に専念します。本格的な職業作家としての道を歩み始めてからは、『三四郎』『それから』『行人』『こころ』等、日本文学史に輝く数々の傑作を著します。しかし、最後の大作『明暗』執筆中の大正5(1916)年12月9日、胃潰瘍が悪化し永眠してしまいます。(享年・50歳)


  夏目漱石

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『夢十夜』(ゆめじゅうや)とは?

 『夢十夜』とは、夏目漱石著の小説で、明治41(1908)年7月25日から8月5日まで『東京朝日新聞』で連載され、10年5月、春陽堂刊の作品集『四編』に収録されます。「こんな夢を見た」という書き出しはとても有名です。

『夢十夜』全十作あらすじ(ネタバレ注意)

第一夜

 ―――こんな夢を見た。腕組をして枕元に(すわ)っていると、(あお)(むき)に寝た女が、静かな声でもう死にますと云う。

死ぬ間際の女性が、自分に「死んだら真珠貝で穴を掘って埋めて下さい。そして、星の破片(かけ)墓標(はかじるし)に置いて、墓の傍に待っていて下さい。また逢いに来ますから」と頼みます。

 自分が「いつ逢いにくるかね」と聞くと、「百年待っていて下さい」と言います。それから自分は、約束通りに真珠貝で穴を掘り、女性を埋めて、星の破片(かけ)墓標(はかじるし)に置き、墓の傍で待ち続けます。

 赤い日が東から昇り、西へ沈むのを何度も見ます。そのうちに女性に騙されたのではないかと自分は疑い始めます。すると、石の下から自分の方へ茎が伸びてきて、一輪の蕾が花びらを開かせます。それは、真っ白な百合の花でした。

 自分は、その百合の花びらに接吻をします。そして、いつの間にか百年が過ぎていたことに初めて気づくのでした。

第二夜

 ―――こんな夢を見た。 和尚(おしょう)の室を退()がって、廊下(ろうか)(づた)いに自分の部屋へ帰ると行灯(あんどう)がぼんやり(とも)っている。

 和尚は侍に「お前は(さむらい)である。侍なら悟れぬはずはなかろう」と言います。そして「いつまでも悟れぬところを見ると、お前は侍ではなく、人間の屑じゃ」とも言い、嘲笑(あざわら)います。



 侍は悟りを開いて和尚を斬るか、それとも悟りを開けずに切腹するかの二択を自らに課します。そして、悟りを開くため無についてひたすら考えます。そのうちに侍の頭は変になっていきます。周りにある筈の物が、有って無いような、無くってあるような。

 そのとき、座敷の時計がチーンと鳴ります。侍は、はっと我にかえり、右の手をすぐ短刀にかけたのでした。

第三夜

 ―――こんな夢を見た。六つになる子供を(おぶ)ってる。たしかに自分の子である。ただ不思議な事にはいつの間にか眼が(つぶ)れて、(あお)坊主(ぼうず)になっている。

 子供をおぶって田圃(たんぼ)道を歩いていると、なにか妙な気持ちになっていきます。「御前の目はいつ潰れたのか」と聞くと「昔からさ」と、まるで大人のような口ぶりで答えます。

 盲目な筈の子供は、周囲の景色がなぜか分かります。子供は「御父(おとっ)さん、重いかい」と聞きます。「重かあない」と答えると「今に重くなるよ」と言います。自分はしだいに恐ろしくなっていきます。そして、田圃道の先にある大きな森に、子供を捨てて逃げることを考えます。



 森を目標(めじるし)に歩いてしばらくすると、道は二股になります。子供は「石が立ってるはずだがな」と言います。確かに石が立っています。「左が好いだろう」と子供が命令します。自分は少し躊躇(ちゅうちょ)しますが、仕方なしにその方向に歩いて行きます。

 「ちょうどこんな晩だったな」と、子供は独り言のように言います。自分が「何が」と聞いても「知ってるじゃないか」と、(あざけ)るように答えます。自分は何だか知っているような気がしてきます。雨が降り、道はしだいに暗くなっていきます。

 やがて一本の杉の木の前に辿り着きます。すると子供は「御前がおれを殺したのは今からちょうど百年前だね」と言います。この言葉を聞いた自分は、百年前に一人の盲目を殺したという自覚が芽生えます。その途端、背中の子供が急に石地蔵のように重くなったのでした。

第四夜

 ―――広い土間の真中に涼み台のようなものを()えて、その周囲に小さい床几が並べてある。台は黒光りに光っている。片隅(かたすみ)には四角な(ぜん)を前に置いて(じい)さんが一人で酒を飲んでいる。(さかな)は煮しめらしい。

 爺さんは白い髭を生やしているから年寄だということは分かります。しかし不思議なことに顔はつやつやとしています。自分は子供ながら年はいくつなのだろうと思います。爺さんに向けて色々質問しますが、埒が明きません。まるで禅問答のようです。

 爺さんは、熱い酒をぐいと飲み干して、息をふうと吹きました。そうすると、その息は障子を通り越して河原のほうに真っすぐ行きます。爺さんは表に出ます、自分も後に続きます。

 爺さんはそのまま柳の木の下まで来ました。そこには三、四人の子供がいました。爺さんは手拭(てぬぐい)を取り出して地面に置き、その周りに丸い輪を書きます。そして、「今にその手拭が蛇になるから、見ておろう」と言います。子供たちと自分はその手拭を真剣に見ます。



 爺さんは笛を吹きながら輪の周りを何遍も廻りました。けれども手拭はいっこうに動きません。やがて、爺さんは笛をぴたりと止め、肩にかけた箱の口を開けて、手拭をそこに放り込みます。そして「こうしておくと、箱の中で蛇になる」と言います。

 そのまま爺さんは「今になる、蛇になる、きっとなる、笛が鳴る」と唄いながら、歩き出します。どこまでも真っすぐ歩いていきます。すると、とうとう川岸までやって来ました。自分は、ここで箱の中に蛇を見せてくれるだろう。と思います。

 しかし爺さんは、そのまま川の中まで入って行きます。やがて、爺さんの姿は水に浸かって見えなくなります。自分は爺さんが向こう岸に上がったとき、蛇を見せてくれるだろう。と思い、いつまでも待ち続けていました。けれども爺さんはとうとう上がって来ませんでした。

第五夜

 ―――こんな夢を見た。何でもよほど古い事で、神代に近い昔と思われるが、自分が(いくさ)をして運悪く敗北(まけ)たために、生擒(いけどり)になって、敵の大将の前に引き()えられた。

 自分は草の上で胡坐(あぐら)をかいています。大将は自分の顔を見て「死ぬか生きるか」と聞きます。自分は一言「死ぬ」と答えます。大将は腰から剣をするりと抜きかけます。そのとき、自分は(てのひら)を大将の前に差し上げました。それは、待てという合図です。

 自分は「死ぬ前に一目でいいから好きな女性に逢いたい」と言います。大将は「夜が明けて(にわとり)が鳴くまでなら待つ」と言ってくれました。このことを知ってか知らずか、女性は、白い馬に乗って、陣に向けて駆け出します。



 遠くの空が薄明るく見えます。馬はそこを目掛けて、闇の中を飛ぶようにして走ります。女性は細い足で必死になって馬の腹を蹴り続けます。すると、暗闇の中で「コケコッコウ」という鶏の声が聞こえてきました。女性は思わず手綱(たづな)を引いていまいます。

 「コケコッコウ」と鶏がまた鳴きます。女性は「あっ」と言って()めた手綱を一度に(ゆる)めてしまいました。その瞬間、馬は諸膝(もろひざ)を折り、前のめりになって、女性と共に深い崖の下へと落ちて行きました。鶏の鳴く真似をしたものは天探女(あまのじゃく)だったのです。

天邪鬼(あまのじゃく)
 ① 民話などに悪役として登場する鬼。天探女(あまのさぐめ)に由来するといわれるが、瓜子姫(うりこひめ)の話に見えるものなど変形は多い。あまのざこ。あまのじゃき。あまのじゃこ。あまんじゃく。

 ② (形動) 何事でも人の意にさからった行動ばかりをすること。また、そのようなさまやそのような人。ひねくれ者。つむじまがり。

出典:精選版 日本国語大辞典

第六夜

 ―――運慶が護国寺の山門で仁王を刻んでいると云う評判だから、散歩ながら行って見ると、自分より先にもう大勢集まって、しきりに下馬評(げばひょう)をやっていた。

 運慶が仁王像を彫っています。ところが見ている人は何故か自分と同じ、明治時代の人間でした。自分はどうして今時分まで運慶が生きているのかなと不思議に思います。けれども、運慶のほうは不思議とも奇体とも感じ得ない様子で一生懸命に彫っています。

 自分は「よくああ無造作(むぞうさ)(のみ)を使って、思うような眉や鼻ができるものだな」と、感心して独り言のように言います。すると隣の男が「なに、あれは木の中に埋まっている仁王を掘り出しているだけだ。土の中から石を掘り出すようなものだから」と話します。

 自分はこの時始めて、彫刻とはそんなものかと思います。そして、急に仁王像を彫ってみたくなります。ちょうど彫刻には手頃な樫の木材が庭に積まれてありました。自分は勢いよく彫り始めましたが仁王は出てきません。何度試してみても結果は同じです。

 自分は、明治の木に仁王は()まっていないと悟ります。それで、運慶が今日まで生きている理由もほぼ解ったのでした。

第七夜

 ―――何でも大きな船に乗っている。この船が毎日毎夜すこしの絶間(たえま)なく黒い煙を吐いて浪を切って進んで行く。(すさま)じい音である。けれどもどこへ行くんだか分らない。

 自分はとにかく船に乗っているのですが、乗っている理由がまったく分かりません。水夫に「この船はどこに行くのか」と訊ねてみますが、いっこうに要領を得ません。自分は心細くなります。乗客のほとんどは異国の人でした。

 一人の女性が手すりに寄りかかって泣いています。そのとき、悲しいのは自分ばかりではないと気が付きます。ある晩に甲板の上で一人で星を眺めていたら、一人の異人に話しかけられます。



 その異人は「星も海もみんな神の作ったものだ」と言い、自分に「神を信仰するか」と訊ねます。しかし自分は黙って空を見ているだけでした。ある時、ホールで派手な女性がピアノを弾いていました。その傍では背の高い男が歌を歌っています。その様子はまるで、二人だけの世界かのようです。

 何だか虚しくなった自分は、とうとう死ぬ事を決心します。そしてある晩に思い切って海の中に飛び込みました。ところが、急に命が惜しくなります。けれども、しだいに水は近づいてきます。

 自分は、やっぱり船に乗っている方が良かったと初めて悟りながらも、後悔と恐怖を抱きながら黒い波の方へと静かに落ちて行くのでした。

第八夜

 ―――床屋の敷居を跨いだら、白い着物を着てかたまっていた三四人が、一度にいらっしゃいと云った。

 床屋の椅子に座ると、鏡には、自分の顔が立派に映りました。顔の後ろには窓が見えます。ですから、窓の外を通る往来の人の姿が良く見えます。パナマ帽を被った庄太郎が女を連れて通ります。豆腐屋がラッパを吹いて通ります。寝ぼけ顔の芸者がお辞儀をしています。

 すると、ハサミと(くし)を持った大男が自分の後ろに来ます。自分はその男に「物になるだろうか」と聞きますが、男は何も答えずに、チャキチャキとハサミを鳴らし始めます。男は「表の金魚売を御覧なすったか」と、聞きました。自分は見ないと答えます。

 男は突然「あぶねえ!」と叫びました。見ると、男の袖の下に自転車と人力車が見えました。やがて、男は自分の横に廻って耳の所を刈り始めます。こうしてしばらくの間、鏡の中を覗き込んでいるうちに散髪は終わりました。

 代金を払って表に出ると、金魚売の姿が見えました。金魚売は自分の前に並べた金魚を見つめたまま、(ほお)(づえ)を突いて、じっとしています。自分はこの金魚売をずっと見ていましたが、金魚売はちっとも動きませんでした。

第九夜

 ―――世の中が何となくざわつき始めた。今にも戦争が起りそうに見える。

 家には若い母と三つになる子供います。父はある夜中に黒い頭巾(ずきん)(かぶ)って勝手口から出て行きました。それっきり帰って来ません。母は毎日、三つになる子供に「御父様は」と聞きます。子供は「あっち」と答えます。

 夜になって辺りが静まると、母は子供を背負って、そっと家を出て行きます。行き先は八幡宮でした。母は拝殿の鈴を鳴らして柏手を打ちます。夫は侍であるから、こうして弓矢の神である八幡に願をかけているのです。



 一通り一心不乱に夫の無事を祈ると、今度は細帯を解いて、それで子供を拝殿の欄干に括りつけます。そうしてから、お百度参りをするのです。しかし、その父親はとうの昔に浪士のために殺されていました。こんな悲しい話を、夢の中で母から聞いたのです。

第十夜

 ―――庄太郎が女に(さら)われてから七日目の晩にふらりと帰って来て、急に熱が出てどっと、床に()いていると云って(けん)さんが知らせに来た。

 庄太郎は町内一の好男子でとても善良な正直者です。ただ一つだけ道楽があります。パナマ帽を被り、夕方になると水菓子屋の店先に腰をかけて、往来の女性の顔を眺めることでした。



 ある夕方、身なりの良い一人の女性が、不意に水菓子屋の店先に立ちます。庄太郎はその女性の容姿に強く惹かれていまいます。女性は水菓子屋で買い物をしたのですが「大変重いこと」と言います。

 庄太郎は「ではお宅まで持って参りましょう」と言い、女性と一緒に水菓子屋を出ます。しかし、それっきり帰って来ませんでした。只事(ただごと)じゃ無かろうと親類や友達が騒ぎ始めます。すると、七日目の晩にふらりと帰ってきました。

 庄太郎は、電車に乗って山に行ったと言います。電車を降りるとそこは野原で、女性と一緒に歩いて行くと断崖絶壁にたどり着きます。女性は「ここから飛び込んで御覧なさい」と言います。当然ながら庄太郎は辞退します。

 すると女性は「思い切って飛び込まなければ、豚に舐められますが好いですか」と聞きます。庄太郎は豚が大嫌いでした。けれども命には代えられません。そうしていると、豚が次々と庄太郎に襲い掛かって来ました。



 庄太郎は持っていたステッキで豚の鼻頭(はなづら)を打ちます。豚は絶壁の下へと落ちて行きます。豚は何万もの群れで庄太郎に襲い掛かります。こうし七日間も豚の鼻頭を叩き続けました。しかし、とうとう力尽きて豚に舐められてと言います。

 健さんは「だから女性を見るのは良くない」と言います。自分も同感でした。健さんは庄太郎のパナマ帽が欲しいと言います。庄太郎は助からないでしょう。パナマ帽は健さんのものになるでしょう。

青空文庫 『夢十夜』 夏目漱石
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あとがき【『夢十夜』の感想も交えて】

 さて、夢と深層心理との関係性について、以前に『ユング 夢分析論』という本を図書館から借りて来て読んだことがあります。仕事の悩みで不眠症になり、例え眠ったとしても浅く、何度も夢を見て起こされたからでした。

 このままではヤバい。そう思って読んだのを覚えています。正直わたしには難解そのものだったのですが、要するに「夢に深層心理は色濃く反映されている」とのことでした。

 それを事実として『夢十夜』の感想を述べるなら、全体を通して、自分、もしくは自分に関係する人間の“ 死への恐怖 ” が表れているのではないか。そう感じます。

 実際、イギリス留学時には神経衰弱(現在では神経症 (ノイローゼ) の症状の一つ)に陥り、その症状は後年まで彼を悩ませ続けます。また東京帝大で教鞭をとっていたとき、教え子の一人が華厳の滝に入水自殺してしまうといったショッキングな出来事もありました。

 職業作家になってからは、門下生の森田草平が、平塚らいてうと、心中未遂事件を起こしたりもしています。『夢十夜』はその翌年に『東京朝日新聞』で連載されました。

 繊細さゆえに神経を患います。その反面、多くの名作は漱石の繊細さから生まれています。だから、わたしは夢を良いように捉えています。自分も繊細だから怖い夢を見たりするのだと。まあ、一緒にするのもおこがましいのですが。

ユング (Carl Gustav Jung カール=グスタフ・ユング)
 スイスの精神病学者。無意識を重視する精神分析学派の一人。人間の性格を内向型と外向型に分類した。常に人間の発達を問題にする点で、教育的発想と関連する学説である。著「無意識の心理学」「心理の類型」など。(1875‐1961)

出典:精選版 日本国語大辞典

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