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大岡昇平『野火』あらすじと解説【戦場―狂気の世界と「神」!】

一読三嘆、名著から学ぶ
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はじめに【「戦争文学」について】

 「戦争文学」というジャンルがありますが、文字のごとく戦争を扱った文学のことで、特に近代以降の作品を指してそのように呼びます。

 「戦争文学」の代表作として、エーリッヒ・マリア・レマルクの『西部戦線異状なし』(1929)やアーネスト・ヘミングウェーの『武器よさらば』(1929)、ドス・パソス『三人の兵士』(1921)などがあげられます。

 それらは戦争批判を含むもので、この傾向は「戦争文学」では一般的とされています。日本人で「戦争文学」の代表的作家と言えば大岡昇平があげられます。今回は大岡昇平の代表作の一つ『野火』をご紹介致します。

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大岡昇平『野火』あらすじと解説【戦場―狂気の世界と「神」!】

大岡昇平(おおおかしょうへい)とは?

 大岡昇平は日本の小説家、評論家、フランス文学の翻訳家・研究者です。(1909~1988)
大岡昇平は明治42(1909)年3月6日、東京市牛込区(現・新宿区)新小川町に生まれます。大正10(1921)年4月、青山学院中学部に入学し、キリスト教の感化を受けます。

 大正14(1925)年12月、成城第二中学校に編入し、成城高校文科乙類へ進みます。昭和3(1928)年、小林秀雄からフランス語の個人教授を受けるようになり、小林を通して河上徹太郎や中原中也、中村光夫らと知り合います。

   小林秀雄

小林秀雄『無常という事』要約と解説【常なることを見失った!】

 昭和4(1929)年4月、京都帝国大学仏文科に入学し、河上徹太郎や中原中也らと同人雑誌『白痴群』を創刊します。昭和9(1934)年3月、京都帝国大学を卒業し、国民新聞社や帝国酸素、川崎重工業に勤めるかたわら、スタンダール研究で知られるようになります。

 昭和19(1944)年3月、教育召集で東部第二部隊に入営し、フィリピンのミンダナオ島の戦線に送られます。昭和20(1945)年1月、米軍の捕虜になり12月に帰国します。そのときの体験を描いた『俘虜記(ふりょき)』を発表し、作家生活に入ります。

 その後、『野火(のび)』(1948)などを発表して戦後文学の旗手となります。ほかに『武蔵野(むさしの)夫人』(1950)、『()(えい)』(1958~59)、『レイテ戦記』(1967~69)、『事件』(1977)、などの小説作品や評論を数多く残します。昭和63(1988)12月25日、脳梗塞のため死去します。(没年齢・79歳)

   大岡昇平

スタンダール(Stendhal)
フランスの小説家。本名マリー=アンリ=ベール。明晰(めいせき)な文体で強烈な自我を描く。鋭い心理分析と社会批判は、心理主義小説の伝統に期を画し、フランス近代小説の創始者と評される。作品に、評論『恋愛論』、小説『赤と黒』『パルムの僧院』など。(1782~1842)

出典:精選版 日本国語大辞典
  スタンダール

小説『野火』(のび)について

 小説『野火』は前半部分、文芸同人誌『文体』の昭和23(1948)年12月号と翌年の7月号に発表され、それに手を加えて昭和26(1951)年、総合雑誌『展望』の1~8月号に連載されます。

 第3回読売文学賞(小説賞)を受賞し、昭和34(1959)年、市川(こん)監督により映画化されています。

『野火』あらすじ(ネタバレ注意!)

たといわれ死のかげの谷を歩むとも ダビデ

 物語の舞台は太平洋戦争末期の激戦地、フィリピン・レイテ島です。日本軍の劣勢(れっせい)が確実になる中、主人公の田村一等兵(いっとうへい)は、レイテ島に上陸するとまもなく、軽い喀血(かっけつ)をしてしまいます。持病の肺病(結核)が悪化したためでした。

 そのため田村は、部隊から五日分の食糧を与えられ、山中の患者収容所へと送られます。そこでは血だらけの負傷兵ですら(ろく)な手当も受けられず、民家の床で横たわっていました。軍医は、肺病で来た田村を叱りつけますが、食糧を持参していたことで入院を許可します。

 三日後、田村は病院から追い出され、再び部隊に戻ります。しかし分隊長に、「役に立たねえ兵隊を()っとく余裕はねえ!」と激怒され、結局は給与係の曹長からカモテと呼ばれる、この島の芋を六本だけ餞別(せんべつ)に渡されて、部隊からも追い出されることになったのでした。

 輸送船はすでに沈められ、補給も途絶えていたレイテ島での日本軍は、無駄な人員に対して重要な食糧を()く余裕などなかったのです。道なき熱帯雨林の中を、さまよい歩く田村でしたが、絶望と共に、一種陰性の幸福感を感じました。

 (生涯最後の幾日かを、軍人の思うままではなく、私自身の思うままに使うことができる……)田村は再度、病院を目指します。しかし目的のない者の()(まぐ)れから、前日に通った道とは異なる、林中の(みち)を行くことにしました。

 柔らかい芝の感覚、火焔樹(かえんじゅ)の朱の梢、原色の朝焼けと夕焼け、白浪(しらなみ)をめぐらした珊瑚礁(さんごしょう)などは、田村の心を恍惚(こうこつ)に近い歓喜の状態におきます。自然の中で絶えず増大してゆく快感は、田村にとって死が近づいたしるしのように思われました。

 やがて林を抜けて河原に出た田村は、対岸に一条の黒い煙が立ち(のぼ)っているのを目にします。それは島人の存在を示すもので、日本軍の兵士にとってこの島の人はすべて敵でした。田村は見知らぬ道を選んだことを後悔します。

 しかし既に死に向かって出発してしまった今、引き返すことは躊躇(ためら)われました。田村は林の中を迂回(うかい)して病院を目指しますが、川向うには依然として野火が見えます。それはいつしか二つになっていました。しかもその火は「狼煙(のろし)」に似ていて、田村を(いら)()たせます。

 民家を利用した病院の周辺にたどり着いた田村は、入院していたときに知り合った安田という病兵から、「また帰って来たのか」と声をかけられます。田村は、「行くところがないからさ」と答えます。安田の片足は熱帯潰瘍(かいよう)棍棒(こんぼう)のようにふくれ上がっていました。

 改めて周囲を見渡します。すると林の中に八人の病兵が座り込んでいました。彼らは田村と同様に、敗北した軍隊からも、そして病院からも()じき出された不要物でした。彼らは互いに観察し合い、自分が生き長らえる方策を考えていました。

 夕方になると安田は、芋をふかしに林の奥へと入っていきます。一人が、「あの野郎、しこたま煙草の葉を持ってやがる。さっきも医務室に行って芋と取り替えて来やがった」と吐き捨てました。田村も他の病兵たちも、めいめいの食糧を出して食べ始めました。

 暗い夜、横たわる田村の耳元に、安田と一人の若い病兵との会話が聞こえてきます。安田は病兵に、「俺と一緒にいろ。出来るだけなんとかしてやるから」と言い、あとはひそひそ話となりました。田村は眠りにつきます。ところが明け方、砲撃の轟音(ごうおん)によって眼を覚ましたのでした。

 砲撃は田村が以前にいた駐屯地や病院に向けて行われていました。軍医や衛生兵は銃を持って谷間の奥へと向かいます。患者たちは思い思いの方向に散らばって行きました。田村は一人、林の奥を進んで丘を上ります。漠然(ばくぜん)と弾の来る方角と、横に行けばいいと考えたからでした。

 (まだ死ねないのなら、自分自身の孤独と絶望を見極めよう……)という暗い好奇心を抱いた田村は、傷兵たちに背を向けて道を上り出しました。それから田村は、幾日も幾夜も丘陵(きゅうりょう)地帯をさまよい歩きます。食料はとうに尽きていました。

 ある日、川を見つけた田村は、目の前の水に見入りながら、(死ねば私の意識は無になるに違いないが、肉体はこの宇宙という大物質に溶け込んで、存在するのを止めないであろう)と、そんな幻想をしました。

 またある夜は、椰子(やし)の樹群の中、月光を眺めながら、(実は既に死んでいるからで、遠く及ばないものに憧れ、生命に執着しているのではないか。従って自らを殺すには当たらない)と、確信しながら眠りに落ちたりしました。

 果てしなくさまよい歩く田村ですが、ある日、無人の小屋を見つけます。小屋の周囲にはカモテ・カホイと呼ばれる芋が植えられていました。田村は手で土を払い、その芋に(かじ)りつきます。窪地には水も流れています。田村はこの場所で飽満(ほうまん)の幾日かを過ごしました。

 病院が砲撃されてから(およ)そ十日経っていました。(はたけ)に島人が帰って来る危険を感じた田村は、昼間は山中に身を隠し、小屋には夜だけ戻って寝ることにします。そして海を眺めていたある日、海岸にある教会らしき建物の(いただき)に十字架を発見します。

 この宗教的象徴の突然の出現は、田村に衝撃を与えます。少年時代にキリスト教のロマンチックな教義に心酔したことがある田村は、(あの下に行ってみようか)という欲求に駆られます。しかしそれは敵の中に行くこと、死ぬことを意味しました。

 その夜田村は夢を見ます。教会の祭壇に置かれた(ひつぎ)の中に、自分が入っているのを見つけます。自分の遺体は死を(よそお)っていて、「デ・プロフンディス。われ深き(ふち)より(なんじ)を呼べり」と呟きました。

 目を覚ました田村は、食べ残しの芋と銃を持って小屋を出ます。(殺されたとしてもあの会堂に入って、生涯最後の時に訪れた、一つの疑問を晴らさねばならぬ。もしこれが一つの啓示であるなら、もし私が聖者であるなら、きっと(ひざまず)くであろう………)

 暗い夜の林を抜けて、村にたどり着いた頃には既に明け方になっていました。村には人影が見当たりません。会堂の階段の前に立った田村は、泥のように変色し、腐敗した数個の物体を目にします。それは日本軍の敗残兵の死体でした。

 田村は死体の群れを迂回し、会堂の階段を上って中に入ります。祭壇には十字架像が置かれて、イエスの蒼白(そうはく)の裸体は()(しょく)を現わしていました。田村は床に伏して泣きます。(敬虔(けいけん)な私が、なぜ同胞の惨死体(ざんしたい)とイエスの刑死体だけを見なければならないのか……)

 そのとき背後から昨夜夢で見た、「デ・プロフンディス」という言葉が響き渡ります。田村はその声を幻聴だと意識します。そして会堂を出ると略奪の痕跡の残る司祭の家に入り、職業的宗教家の無知を呪いつつも、長椅子に横たわり、いつしか眠っていたのでした。

 歌が聞こえて来ます。女性の声でした。身を起こした田村は窓から外を見ます。すると月明かりの中、一隻の舟に若い男女が乗っている姿が見えました。女性が(かい)を持ち、漕ぎながら歌っていたのです。舟はやがて渚に着きました。

 二人は笑いながら司祭の家に入って来ると、台所に用があるらしく、そこで忙しく音を立てていました。田村の潜む部屋にも入って来る可能性があります。田村は銃で扉を押して二人の前に立ち、「バイゲ・コ・ポスポロ((マッ)()をくれ)」と言いました。

 女性の顔は(ゆが)み、獣のような叫び声を上げます。その拍子に田村は女性を撃ち殺してしまいます。男は(わめ)きながら逃げ去りました。田村は、自分の行為よりも、犠牲者がここに来た理由に好奇心を起こします。すると床板の下に、人間の生存にとって貴重な塩を見つけたのでした。

 雑囊(ざつのう)に塩を詰められるだけ詰めて、田村はその家を出ます。悲しみが後から田村を襲います。女性の死体の見開かれた眼、尖った鼻、床に投げ出された腕などが頭から離れません。そして田村は動機と原因について振り返ります。

 (私が殺人者となったのは偶然である。何故私は撃ったか。女が叫んだからである)しかしそれは引金(ひきがね)を引かす動機であっても原因ではありませんでした。弾丸が致命的な部分に当たったのも偶然で、田村は狙っていません。(事故なら何故こんなに悲しいのか……)

 橋を渡る時、田村は銃を斜めに構えます。そしてその銃を見て吐き気を感じます。(もしあの時私の手に銃がなかったら、彼女はただ驚いて逃げ去るだけですんだであろう。銃は国家が私に持つことを強いたものである……)―――田村はそのまま銃を川に投げ捨てたのでした。

 数日前まで潜んでいた畠に戻った田村は、そこで三人の日本兵と遭遇します。孤独の中にいた田村は喜んで駆け寄りますが、階級章を見ると伍長でした。田村は改めて啓礼し、自分がまだ軍隊の組織にいたことを意識します。

 伍長が言うには、「レイテ島上の兵隊は(ことごと)くパロンポンに集合すべし」との軍命令が出ているとのことでした。パロンポンとは島の西北の半島突端の町です。伍長たちはそこへの退却途中に畠を見つけ、食糧になる芋を掘っていたのでした。

 田村は伍長に同行を願います。しかし伍長の反応は、「お前、病人だろう」と冷たいものでした。ところが田村が塩を持っていることを知ると伍長の態度は一変します。結局塩を分け与えることで、田村は同行を許可されました。

 田村の心に希望が生まれます。中隊を出て以来の奇妙な経験と夢想はすべて、戦場で隊から棄てられたという単純な事実に基づいていました。今は僚友(りょうゆう)と共にあり、塩を与えるという行為によって、田村と彼等は社会的関係にあるのです。

 伍長の先導で田村たちは出発します。パロンポンを目指していると、一人、二人と不意に日本兵が現れ、その数はやがて一個中隊ほどの行軍隊形となりました。日本軍の命令は米軍にも知られているらしく、飛行機からの機銃(きじゅう)掃射(そうしゃ)で、道端には死者と傷者が増えていきました。

 夕方に行軍を開始し、夜が明けると林に入って眠ります。兵士たちはそれぞれ飢え、病んでいましたが、それでも疲れた体を引きずって一つの望みにかけていました。田村は死んだ兵士から銃を奪う機会を狙っていましたが、そんな中伍長が銃を取って来てくれます。

 田村は漠然(ばくぜん)とした胸の悩みを感じました。かつて病院が砲撃された時に仲間を見捨てることが出来たのは、自分の前途に死しか予想出来なかったからです。しかしパロンポン集合の希望を持った今は自責を感じられずにはいられませんでした。

 ある日、田村は病院の前で別れた安田と、もう一人の若い病兵・永松と会います。安田は相変わらず煙草を餌に商売をし、永松はそんな安田の手足となって食糧を得ていました。安田はパロンポンに行く気はなく降伏をするつもりだと永松が言います。田村は二人を見棄(みす)てて先を急ぎました。

 雨季に入ったレイテ島での行軍は困難を極めます。雨のため頭上を飛ぶ米軍機は減りましたが、その代わりに自動小銃を持つゲリラに脅かされました。やがて伍長ら三人に追いついた田村でしたが、米軍のトラックが往来する三叉(さんさ)()に行く手を(はば)まれてしまいます。

 暗闇のなか強行突破を試みる田村たちでしたが、今度は湿原が行軍を鈍らせます。泥は膝まで達し、体力を極限まで奪っていきました。一瞬、(引き返そうか?)という考えが(よぎ)りますが、同時に(死ぬまでだ)という死の観念が、田村に気楽さを与えます。

 このとき田村に奇妙な感覚が生まれました。何故か、(誰かに見られている)と思ったのです。この感覚は的中し、前方から突如戦車が現れ、機関銃の弾が風にあおられるように田村たちの頭上を()いで通ったのです。「わーっ!」と叫ぶ声が聞こえて途切れます。それは伍長の声でした。

 しばらくして銃声は止みます。あとは再び暗黒と静寂でした。田村と一緒に前進した兵士隊はどこへ行ったか分かりません。田村はのろのろと土手をよじ登り、丘の草むらへと身を(ひそ)めます。銃はいつの間にか、田村の手から離れていました。

 夜が明けて、丘から湿原を眺めると、日本兵の死体が点々と横たわっているのが見えました。しばらくすると田村の潜んでいた丘も、激しい迫撃砲、飛行機からの機銃掃射に見舞われました。何とか窮地を脱した田村は赤十字のマークをつけた車を見ます。

 その車は、まだ死んでいない日本兵を収容し、走り去って行きました。(あの同胞は負傷しただけで生きていた。そして今後も米軍の病院で生き続けるであろう……)その日田村は、再び赤十字のマークをつけた車が来るのを見張りますが、その車は二度と来ることはありませんでした。

 田村は熟考の末に降伏を決意します。問題は降伏の意思を敵にどのようにして表示するかでした。田村は夜明けを待って道路の近くを目指します。すると一台の小型自動車が故障したらしく、田村の潜む草むらの前で止まりました。

 車から降りた一人は車輪を調べ、一人は銃を構えて、四方へ眼を配らせています。またもう一人、この島のゲリラの女兵士が車から降りて来ました。田村はその女兵士が、(海岸の村で殺した女に似ている)と思います。

 (同胞に会ったため生還(せいかん)の希望を持ち、降伏によって救命の手段を求めているが、一つの生命の生きる必然を奪った私にとっての必然とは「死」ではなかったのか……)田村は、用意していた茶褐色の(ふんどし)の白旗を捨て、女兵士の銃の前に、身を(さら)そうかと思案します。

 そのとき、十間(約18m)ばかり離れた草むらから、「こーさーん」という声とともに、一人の日本兵が躍り出て、自動車に向かって駆けました。その日本兵に向けて女兵士が銃を乱射します。日本兵は泥の上に伏して動かなくなりました。田村は、(撃たれたのは自分だ)と思いました。

 米兵と女兵士のいる道から引き返した田村は、砲撃で破壊された自然の中を、再び一人でさまよい歩きます。至るところに死体が転がっていました。田村は、あらゆる草、自分の血を吸う(やま)(ひる)すらも食べて飢えを(しの)ぎます。そんな食物で身体がもっていたのは、塩があったからでした。

―――しかし、その塩がついに底を尽いてしまいます。
田村は、以前から尻肉を失った日本兵の死体を見かけていて、当初は、(犬やカラスが食ったのだろう)と思っていました。

 ところがそれは野生動物の仕業(しわざ)ではなく人間によって行われたものと確信します。何故ならある日田村は、硬直のあまり進んでいない死体を見て、その肉を食べたいと思ったからでした。

 田村は、新しい死体を見つけるごとに辺りを見廻します。しかし誰かに見られているような感覚に襲われ、食べることを躊躇(ためら)っていました。そんなある日、丘の上の木に背中を(もた)れ、動かなくなった一人の将校と遭遇します。将校はまだ生きていました。

 将校は、「天皇陛下様。家へ帰らして下さいませ。南無(なむ)阿弥陀仏(あみだぶつ)。合掌」とうわ言のように繰り返しています。田村は将校の隣に座り、その瞬間を待ち続けました。すると将校は田村に、「可哀想に。俺が死んだら、ここを食べてもいいよ」と痩せた左腕を指し示し、息を引き取ります。

 将校の死体をうつ伏せにした田村は、窪地(くぼち)まで引き()って運び、誰も見ていないことを確かめてから右手で剣を抜きました。ところが奇妙なことに、剣を持った右の手首を、田村自身の左手が止めるように握ったのです。

 そして田村の耳に、「(なんじ)の右手のなすことを、左手をして知らしむる(なか)れ」という、村の会堂で田村を呼んだ声が聞こえてきます。その声は、「起てよ、いざ起て」と歌います。田村は起ち上ると死体から離れます。すると離れるにつれ、右手を握った左手の指が一本、一本と離れていったのでした。

 大型爆撃機の編隊が頭上の空を渡ったある日、再び飢えを感じた田村は、丘を駆け上がります。ところが窪地に置かれた将校の死体は既に腐敗(ふはい)していました。田村はまたもや神の意思を感じます。(彼は神に愛されていた。そして恐らく私もまた……)

 しかし同時に、(もし私が神に愛されているのなら、何故こんなところにいるのだろう)とも思います。そんな朦朧(もうろう)とする意識の中、暗い林に横たわっていた田村は、二つの眼と銃口を目撃します。その二つの眼は近づいて来て、見下ろし、「田村じゃないか」と言いました。

 田村は、(神だろうか)と思います。そして疑いの眼差しを向けた田村は、「永松」と病院の前で知った若い兵隊の名を呼ぶと同時に意識を失ってしまいました。我に返った田村に永松は、水と干し肉を与えます。「何の肉か」と聞くと永松は、「猿の肉さ」と横を向いて答えました。

 永松は、歩けなくなった安田と今も行動を共にしていました。安田に、「食糧は持ってるか」と聞かれた田村は、「何もねえ、あっ、手榴弾(しゅりゅうだん)があった」と答えます。その瞬間二人は異常な反応を示しました。そんな反応に警戒した田村はとっさに、「いや、落としたかな」と、はぐらかしました。

 しばらく会わないうちに安田と永松、二人の関係は悪化していました。永松は安田に銃を奪われないように警戒し、寝床を別にしていたのです。永松は田村に、「お前の手榴弾、安田に取られないように気をつけろよ」と警告しました。

 雨が降り続き、干し肉の蓄えが少なくなっていく中、永松は狩猟へと出かけて行きます。残された田村は、安田との会話の中で、思わず手榴弾を持っていることを明かしてしまい、唯一の武器の手榴弾を安田に奪われてしまったのです。その時、遠くから銃声が聞こえてきます。

 田村は、銃声のした方向へ行きました。すると一個の人影が駆けて行きます。よく見るとその人影は軍服を着た日本兵でした。銃声がまた響き、人影はなおも駆け続けます。―――猿の正体とは日本兵だったのです。

 永松は、「見たか」と田村に訊ね、「お前も食ったんだぞ」と言います。それから田村は、安田に手榴弾を奪われたことを話すと、永松は顔を真っ赤にして、「安田を殺すしかねえ。やらなきゃこっちがやられる。」と言いました。

 安田が必ず自分達を殺しに来ると考えた永松は、声で安田をおびき寄せて手榴弾を使わせようとします。するとその予想通りに、安田は二人を目がけて、手榴弾を炸裂させたのでした。その後二人は辺りに一つしかない泉の近くに身を潜めて安田を待ち続けます。

 三日目、安田は泉に姿を現して、「おーい。出て来い。俺が悪かった」と泣くように叫びました。永松はその姿に照準をつけて引き金を引きます。そしてなんと、銃声とともに飛び出した永松は、動かなくなった安田の手首と足首を刀で切り落とし、それを食い始めたのでした。

 その光景を目の当たりにした田村は嘔吐し、同時に怒りを感じます。(互いに食い合うのが必然なら、この世は神の怒りの跡にすぎない。私は神の怒りを代行しなければならぬ……)田村は林を駆けて、永松の置いた銃を取りに行きます。

 そして一歩の差で銃を奪った田村は、血に染まった赤い口を開けて笑う永松に向けて銃口を向けました。このとき田村が永松を撃ったのかどうかは定かではありません。ここで田村のレイテ島での記憶が途切れるからでした。

―――次に田村が記憶を取り戻したのは、米軍の野戦病院でした。
後頭部に頭蓋(ずがい)骨折の打撲傷(だぼくしょう)を負っていた田村は、衛生兵から、山中でゲリラに(とら)えられた時に受けた傷だろうと教えられます。また軍医からは、脳震盪(のうしんとう)による記憶障害があると説明を受けました。

 他にも、心臓の機能障害や、軍から追われる原因となった結核も進行していました。そのため田村は、結核患者のみ集めた病棟に隔離され、終戦の翌年の昭和二十一年三月、病院船で復員することになります。

 祖国の妻は喜んで田村を迎えてくれました。しかし五年後、収容された当初、周囲の者から狂人と見做(みな)された儀式を再びするようになります。それは食膳を前に、生物に対して詫びるという儀式でした。

 さらに田村は、あらゆる食物を拒否するようになり、左手が右手を握るといった症状も表れ始めます。このことをきっかけに田村は精神病院に入ることになりました。そして妻と離婚した田村は、治療の一環として医師の薦めで手記を書くことになります。

 田村は、失われた十日間の記憶をたどりながら、(私は再び野火を見ていたかも知れぬ)と思い、ある仮定から一つの姿を浮かび上がらせました。それは銃を肩に島人を求めて野火に向かって歩く田村の姿です。

 そして野火を見れば必ず人間を探しに行った田村の秘密の願望は、(実は彼等を食べたかったのかも知れぬ……)と想像します。

 (しかし罪に堕ちようとした丁度その時、襲撃者によって後頭部を打たれたのであるならば――もし神が私を愛したため、(あらかじ)めその打撃を用意したならば――もし、彼がキリストの変身であるならば――神に栄あれ)。そう、田村は思うのでした。

『野火』【解説と個人的な解釈】

エピグラフについて

 小説『野火』は、「たといわれ死のかげの谷を歩むとも ダビデ」というエピグラフが付されていますが、この詩には続きがあります。

 「たといわれ死の陰の谷を歩むとも、禍害(かがい)を恐れじ。なんじわれとともに在せばなり、なんじの(むち)なんじの(つえ)のわれを(なぐさ)む。」(『聖書』詩篇23:1‐6)

 「神を崇拝する人たちは、難しい状況に置かれていても神から守られる」という意味ですが、物語が「神に栄あれ」と閉じられるように、戦場という極限状況での「信仰心」が一つのテーマとなっています。

『野火』【解説】

①集団社会からの放逐(ほうちく))

 主人公・田村の不幸は、「集団社会からの放逐」に始まったと言えるでしょう。けれども田村は、「軍人の思うままではなく、私自身の思うままに使うことができる」と、そんな危機的な状況を楽天的な思考へと転換させます。

②野火と孤独の彷徨(ほうこう

 集団から放逐され、道なき道をさまよい歩く田村ですが、その途上で黒い煙(野火)を目撃します。この野火は物語を通して一種の道標(みちしるべ)のような意味を持ちます。

③「死」の問題と「生」への執着

 孤独のなか田村は「死」という現象について向き合い、「意識は消滅するが肉体は物質として生き続ける」といった考えに至ります。と同時に、自分自身の「生」への執着を自覚し、自ら命を絶つことを否定します。

④十字架への欲求と残酷な現実

 若き頃に心酔した信仰の象徴(十字架)に目にした田村は、その場所に行って見たいといった欲求に駆られます。しかしそれは「死」を意味します。それでも夢の中で「デ・プロフンディス/われ深き淵より汝を呼べり」という声を聞いたことで実行に移します。

 会堂にたどり着いた田村ですが、そこで物体となった日本の敗残兵の死体を目の当たりにして泣き崩れます。そんななか再び、夢の中でも聞いた「デ・プロフンディス」という声を耳にした田村は、地上で自分の救いに応える声はないと認識します。

⑤衝動的な殺人と悔恨(かいこん)

 司祭の家で眠りに落ちた田村ですが、突然の来訪者の出現により、衝動的に一人の女性を撃ち殺してしまいます。しかし「殺人」という事実よりも来訪の理由に好奇心を示した田村は「塩」を発見し、その場から立ち去ります。

 「殺人は偶然の事故」と自分の行動を正当化する田村ですが、後から深い悲しみに襲われます。「殺人」の原因が「銃」の所持にあると結論づけた田村は、その「銃」を川に投げ捨てます。

⑥集団社会への帰属と物質的な結びつき

 三人の日本兵に遭遇した田村は、パロンポンへの退却を知らされます。田村も「塩」といった希少物質を手に入れたことで集団社会への帰属を許されますが、行軍をアメリカ軍に阻まれ、またしても一人になったことで降伏を考えます。

 しかし、「殺人」といった罪を犯した田村は、 “ 「死」だけが残された道 ” と思い直し、降伏することを取りやめて、再び孤独の彷徨をすることになります。

⑦人肉食への欲望と神の意思

 「塩」が尽きて極限的な飢餓状態に陥った田村は、打ち捨てられた兵士たちの死体を見て、「その肉を食べたい」という自分自身の欲望に気付きます。その後、死を目前にした将校から、死後に「自分の腕を食べてよい」という遺言を聞いて心が揺れ動きます。

 しかし、いざ実行に移そうとするとき、肉を切り裂こうとした右手を左手が力強く制止します。そして、「汝の右手のなすことを、左手をして知らしむる勿れ」という会堂で聞いた声を再び耳にした田村は、その死体から離れます。

⑧「猿の肉」の正体と同士討ち

 飢餓状態の田村は、永松ら二人と再会し、「猿の肉」を与えられることで一命を取り留めます。しかし「猿の肉」の正体を「日本兵の肉」と知った田村は、二人がお互いを最後の食糧と考えていたことに気付きます。

 そして永松が安田を射殺し、永松がそれを実行すると、田村の怒りは頂点に達します。田村は、銃を奪い取ると銃口を永松に向け、そこで田村の記憶が途切れます。

⑨狂人日記と「野火」

 六年後、田村は周りから狂人とみなされ、精神病院に収容されます。そこで田村は治療の一環として手記を執筆します。そして記憶の空白部分を埋めるキーワードとして「野火」を上げて、一つの仮説を立てます。

 田村は、(「野火」を見たら人間を探しに行った)とし、その理由について、「人肉食への欲望」だったのかも知れないと考えます。しかし罪を犯す寸前で、ゲリラ兵に襲撃されたのだと推測し、それは「神の御加護」だと結論付け、「神に栄えあれ」とエピグラフに回帰して物語を閉じます。

『野火』【個人的な解釈】

 戦場という極限状況での「信仰心」が一つのテーマとなっていると「エピグラフについて」に書きましたが、付け加えると、生きるか死ぬかという状況に追い込まれたとき、「人間が(動物化しないで)人間のままでいられるのか?」そんなとき「人間を救うのは果たして “ 宗教 ” なのか?」ということをテーマとして掲げているように感じます。

 『野火』では、絶望的な状況と絶対的な孤独のなかで、「人間は本当に人間を信頼することができるのか?」という「究極的な人間性」の問題、そして平時では考えられない異常な心理状態、果ては「狂人化」していく人間の姿が赤裸々に語られていきますが、当初、「狂人日記」として構想されていたと大岡自身語っています。

私が『野火』を書いたのは昭和二十四~二十六年ですが、最初は「狂人日記」という題にするつもりだったんです。主人公が気違いというのはいわば前提でして、いまの形では、おしまいに精神病院に入ることになっていますけれど、最初雑誌『文体』へ発表したときには精神病院から始まっていたんです。
(「人肉食について」大岡昇平『新潮』1973年11月)

 つまり作者は、戦争によって失われていく人間の「命」のみならず、戦争によって心と身体が破壊され「狂人化」していく人間の姿を描くことで、人々にインパクトを与え、「反戦」を強調したかったのではないか?と個人的に解釈しています。

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あとがき【『野火』の感想を交えて】)

 『野火』という作品は、田村一等兵が過去の記憶を手記にするという形式を取っていますが、大岡の体験談ではなく、現地で聞いた事実を基に創作したフィクションだと大岡自身がインタビューで語っています。

 とは言うものの、やはり戦場体験のある人間じゃないと書けないリアリティーさに溢れていて、わたし自身、幾度も戦場にいるような錯覚を起こしました。『野火』を読む毎に思うことは当然ながら、どんな政治的な理由があったとしても「戦争」だけはしてはいけない。ということです。

 そして必然的に、「もしも自分がそんな状況に追い込まれたら?」ということを考えてしまいます。「苦しい時の神頼み」ということわざがありますが、やはり「神」か「仏」に頼ってしまうのではないでしょうか。

 ともかくとして、この世から戦争が無くなり、「神に栄えあれ」と、叫びたいところです。

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