はじめに【「個人主義」という言葉について】
「個人主義」という言葉を辞書で引くと、「個人の意義と価値を重視し、個人の権利や自由を尊重する考え方。」と出てきます。けれども現代に生きるわたしたちは、少し違ったニュアンスで使っているのではないでしょうか。
自分勝手な人、つまりは自分の都合しか考えない人のことを指して、その人を非難する場合に使われることが多いと思われます。これもまた「個人主義」というものが当たり前の時代だからなのでしょう。
大正3(1914)年11月25日、夏目漱石は、学習院輔仁会の招きで講演を行います。このときの講演内容は『私の個人主義』といわれますが、さて、夏目漱石の考える「個人主義」とは一体どのようなものだったのでしょうか。
夏目漱石『私の個人主義』要約と解説【他者の自由を尊重する!】
夏目漱石(なつめそうせき)とは?
夏目漱石(本名は夏目金之助)は日本の小説家、評論家、英文学者、俳人であり、明治末期から大正初期にかけて活躍した近代日本文学の頂点に立つ作家の一人です。(1867~1916)
夏目漱石は慶応3(1867)年、江戸牛込馬場下(現在の新宿区喜久井町)に生まれます。帝国大学英文科(現在の東京大学)卒業後、松山中学、五高(熊本)等で英語教師となります。その後、英国に留学しますが、留学中は極度の神経症に悩まされたといわれています。
帰国後は、第一高等学校と東京帝国大学の講師になります。明治38(1905)年、『吾輩は猫である』を発表し、それが大評判となり、翌年には『坊っちゃん』『草枕』など次々と話題作を発表し、人気作家としての地位を固めていきます。
明治40(1907)年、東大を辞して、新聞社に入社し、創作に専念します。本格的な職業作家としての道を歩み始めてからは、『三四郎』『それから』『行人』『こころ』等、日本文学史に輝く数々の傑作を著します。しかし、最後の大作『明暗』執筆中の大正5(1916)年12月9日、胃潰瘍が悪化し永眠してしまいます。(享年・50歳)
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『私の個人主義』【要約】
講演内容は三つテーマに沿って展開していきます。
①他人本位から自己本位へと!
夏目漱石は、英国留学時をふり返り、「私は大学で英文学という専門を三年やりました。しかし試験には、シェイクスピアのフォリオ(作品集)は幾通りあるかとか、スコット(ウォルター・スコット)の書いた作物を年代順に並べてみろとかいう問題ばかり出たのです。」と語ります。
そして、「文学とはどういうものか、これでは解るはずがありません。」と述べ、それなら自力で窮めようとして図書館に行っても手掛かりがなく、「ついに文学は解らずじまいだったのです。私の煩悶はここに根ざしていたと申し上げても差支ないでしょう。」と語ります。
※煩悶(はんもん) 心をいためもだえること。悩み苦しむこと。
こうした煩悶は学生時代からのもので、「私はそんなあやふやな態度で世の中へ出て教師にされてしまったのです。」と述べた漱石は、「当時の自分は教師という職業に少しの興味も持てず、教育者としての素因にも欠乏している事も知っていた」と言い、「教場で英語を教える事がすでに面倒だった。」と語ります。
※素因(そいん) ある結果を生ずるもと。原因
そして、「隙があったら、自分の本領へ飛び移ろうと思っていた。」と述べた漱石は、その本領というものも見つからずに、「この世に生れた以上何かしなければならん。」と、焦り抜いた末に、「この先自分はどうなるだろうと思って、人知れず陰欝な日を送ったのであります。」と語ります。
※本領(ほんりょう) 本来の持ち前。そのものの特色・本質。もとからの領地。代々伝えられた領地。
※陰鬱(いんうつ) 暗く沈んで晴れ晴れしないさま。うっとうしいさま。
漱石は、そんな不安を抱いて大学を卒業し、松山から熊本へ引越し、また不安を抱えたまま外国に渡ったと述べます。そして留学先のロンドンで、どんなに本を読んで努力しても無駄だったと言い、しまいには「何のために書物を読むのか自分でもその意味が解らなくなって来ました。」と語ります。
しかし漱石はそんな中、「文学とはどんなものであるか、その概念を根本的に自力で作り上げるよりほかに、私を救う途はないのだと悟ったのです。」と述べ、「今までは全く他人本位で、根のない萍(浮き草)のように漂っていたから、駄目であったという事にようやく気がついたのです。」と語ります。
続けて漱石は、自分の言うところの他人本位とは人真似のことを指すとし、「たとえばある西洋人が甲という作物を評したのを読んだとすると、その評の当否はまるで考えずに、自分の腑に落ちようが落ちまいが、むやみにその評を触れ散らかす。」と、その一例を上げます。
そして、「自己本位(自我本位)を立証するために、科学的な研究やら哲学的の思索に耽けり出したのであります。」と述べた漱石は、「私はこの自己本位という言葉を自分の手に握ってから大変強くなり、不安は全く消えました。」と言い、学生たちに向けてこのように語りかけます。
「あなたがたはこれから世の中へお出かけになる。いずれも私の一度経過した煩悶を繰返すのではなかろうかと推察されるのです。そんなとき自分のツルハシ(工事道具)で掘り当てるところまで進んで行かなくってはいけないでしょう。何も私を模範になさいという意味ではないのです。」
「しかしもし途中で霧か靄のために懊悩していられる方があるならば、どんな犠牲を払っても、掘当てるところまで行ったらよろしかろうと思うのです。必ずしも国家のためばかりだからというのではありません。あなたがた自身の幸福のために、それが絶対に必要じゃないかと思うから申上げるのです。」
※懊悩(おうのう) なやみもだえること。
②権力と金力について!
次に漱石は、学生たちに向けて、「学習院という学校は社会的地位の好い人が這入る学校のように世間から見傚されております。換言すると、あなた方が世間へ出れば、貧民が世の中に立った時よりも余計権力が使えるという事なのです。」と語りかけます。
※換言(かんげん) 他の言葉にいいかえること。いいかえ。
続けて、「権力とは自分の個性を他人の頭の上に無理矢理に圧しつける道具に使い得る利器なのです。」と述べ、「権力に次ぐものは金力です。金力は個性を拡張するために、他人の上に誘惑の道具として使用し得る至極重宝なものになるのです。」と語ります。
※至極(しごく) この上ないこと。きわめて。
そして、「権力と金力とは自分の個性を貧乏人より余計に、他人の上に押し被せるとか、または他人をその方面に誘き寄せるとかいう点において、大変便宜な道具だと云わなければなりません。こういう力があるから、偉いようでいて、その実非常に危険なのです。」と学生たちに警笛を鳴らします。
さらに漱石は、「あなたがたは自分の個性が発展できるような仕事を発見するまで邁進しなければ一生の不幸である。しかし自分がそれだけの個性を尊重し得るように、他人に対してもその個性を認めて、彼らの傾向を尊重するのが理の当然になって来るでしょう。」と語ります。
※邁進(まいしん) まっしぐらに突き進むこと。
そして、「自我と自覚」という言葉について、「近頃は自分勝手な真似をしても構わないという符徴に使うようですが、彼らは自分の自我をあくまで尊重するような事を云いながら、他人の自我に至っては毫も認めていないのです。元来、義務の附着しておらない権力というものが世の中にあろうはずがないのです。」と語ります。
※符徴(ふちょう) その仲間だけに通じることば。 あいことば。
※毫(ごう) きわめて細い毛。きわめてわずかなこと。
続けて金力について、「金銭というものは、何へでも自由自在に融通が利く。そのうちでも人間の精神を買う手段に使用できるのだから恐ろしいではありませんか。それをふりまいて、人間の徳義心を買い占める、すなわちその人の魂を堕落させる道具とするのです。」と語ります。
※融通(ゆうずう) とどこおらずに通ずること。
※徳義心(とくぎしん) 徳義(道徳上の義務・義理)を重んずる心。
その上で漱石は、講演の前半部分を次のようにまとめます。
「第一に自己の個性の発展を仕遂げようと思うならば、同時に他人の個性も尊重しなければならないという事。第二に自己の所有している権力を使用しようと思うならば、それに附随している義務というものを心得なければならないという事。第三に自己の金力を示そうと願うなら、それに伴う責任を重んじなければならないという事。つまりこの三カ条に帰着するのであります。」
そして、「倫理的に、ある程度の修養を積んだ人でなければ、個性を発展する価値もなし、権力を使う価値もなし、また金力を使う価値もないという事になるのです。」と学生たちに向けて厳しい言葉を投げかけます。
さらに、「もし人格のないものが個性を発展しようとすると、他を妨害する、権力を用いようとすると、濫用に流れる、金力を使おうとすれば、社会の腐敗をもたらす。あなたがたはどうしても人格のある立派な人間になっておかなくてはいけないだろうと思います。」と語ります。
③国家主義と個人主義!
次に、話が少し横道にそれると前置きした漱石は、「イギリスという国は大変自由を尊ぶ国であります。」と述べ、「しかし彼らはただ自由なのではありません。自分の自由を愛するとともに他の自由を尊敬するように、子供の時分から社会的教育をちゃんと受けているのです。」と語ります。
そして、「要するに義務心を持っていない自由は本当の自由ではないと考えます。そうしたわがままな自由はけっして社会に存在し得ないからであります。存在してもすぐ他から排斥され踏み潰されるにきまっているからです。」と語ります。
続けて、「私はあなたがたが自由にあらん事を切望するものであります。同時にあなたがたが義務というものを納得せられん事を願ってやまないのであります。こういう意味において、私は個人主義だと公言して憚らないつもりです。」と語ります。
さらに誤解がないようにと前置きしてから、「個人の自由は、個性の発展上極めて必要なものであって、個性の発展が、幸福に非常な関係を及ぼすのだから、自由は、自分でも把持し、他人にも附与しなくてはなるまいかと考えられます。」と重ねて個人主義の意味について語ります。
※把持(はじ) しっかりと握り持つこと。
※附与・付与(ふよ) さずけ与えること。
そしてそれは金力や権力の点でも同じだと言い、「気に喰わない者だからやっつけてしまえとか、ただそれらを濫用したらどうでしょう。人間の個性はそれで全く破壊されると同時に、人間の不幸もそこから起らなければなりません。」と述べます。
続けて、「私のここに述べる個人主義というものは、けっして俗人の考えているように国家に危険を及ぼすものでも何でもないので、他の存在を尊敬すると同時に自分の存在を尊敬するというのが私の解釈なのです。」と語ります。
さらに一言付け加えて、「個人主義というと国家主義の反対で、それを打ち壊すように取られますが、そんな理窟の立たない漫然としたものではないのです。事実私共は国家主義でもあり、世界主義でもあり、同時にまた個人主義でもあるのであります。」と語ります。
※漫然(まんぜん) これという目的や意識を持たず、とりとめのないさま。ぼんやり。
そして漱石は、「自由というものは国家の安危に従って、寒暖計のように上ったり下ったりするのです。」と述べ、「国家が危くなれば個人の自由が狭められ、国家が泰平の時には個人の自由が膨脹して来る、それが当然の話です。」と語ります。
続けて、「国が強く戦争の憂が少なく、そうして他から犯される憂がなければないほど、国家的観念は少なくなってしかるべき訳で、その空虚を充たすために個人主義が這入ってくるのは理の当然と申すよりほかに仕方がないのです。」と述べます。
さらに日本の現状を、「それほど安泰でもないでしょう。」と述べた漱石は、「貧乏である上に、国が小さい。したがっていつどんな事が起ってくるかも知れない。そういう意味から見て吾々は国家の事を考えていなければならんのです。」と語ります。
そして、「けれどもその日本が滅亡の憂目にあうとかいう国柄でない以上は、そう国家国家と騒ぎ廻る必要はないはずです。」と述べ、戦争が起こった場合は、「個人の自由を束縛し個人の活動を切りつめても、国家のために尽すようになるのは天然自然と云っていいくらいなものです。」と語り、次のように講演を締めくくります。
※憂目(うきめ) 憂き目。つらいこと。苦しい体験。
「私はせっかくのご招待だから今日まかり出て、できるだけ個人の生涯を送られるべきあなたがたに個人主義の必要を説きました。これはあなたがたが世の中へ出られた後、幾分かご参考になるだろうと思うからであります。」
「もし曖昧の点があるなら、好い加減にきめないで、私の宅までおいで下さい。できるだけはいつでも説明するつもりでありますから。またそうした手数を尽さないでも、私の本意が充分ご会得になったなら、私の満足はこれに越した事はありません。あまり時間が長くなりますからこれでご免を蒙ります。」
青空文庫 『私の個人主義』 夏目漱石
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『私の個人主義』【時代背景と解説】
明治新政府は、殖産興業や富国強兵といった政策をとり、西洋先進諸国の制度、文物、産業、技術の導入を積極的に推進していきます。それは当時の西洋先進諸国がアジア諸国を植民地支配し、莫大な富を吸い上げていたという現実に対する危機感からでした。
夏目漱石もまた、明治33(1900)年、文部省から英語教育法研究のため、イギリス留学を命じられます。留学期間は2年半に及びますが、この頃の生活を『文学論』の序で次のように語っています。
倫敦に住み暮らしたる二年は尤も不愉快の二年なり。余は英国紳士の間にあつて狼群に伍する一匹のむく犬の如く、あはれなる生活を営みたり。
(『文学論』序 夏目漱石)
①他人本位から自己本位へと!
留学中、夏目漱石は英文学の探求に明け暮れます。しかし探求すればするほど文学というものが解らなくなっていきます。そこで漱石は、自らの手で文学を作り出すしかないと悟り、思考方法を今までの「他人本位」から「自己本位」へと切り替えます。
「他人本位」――他人の真似をしたり、他人の評価を気にして行動すること。
↓(変更)
「自己本位」――自分のことだけを中心に考えること・行動すること。
漱石は、自分自身が「自己本位」になることで精神的に強くなり、不安がなくなったと語り、人間の幸福のためにも「自己本位」は必要だと語っています。
②権力と金力について!
「権力」――自分の個性を他人の頭の上に無理矢理押し付ける道具。
「金力」――自分の個性を拡張し、他人を誘惑するための道具。
漱石は、人間が「権力」や「金力」を持ち優位な立場に立つと他人の個性を潰す危険性があると話します。そこで最も重要になってくるのが「人格」です。「人格」が備わっていたらそのような危険性もありません。つまり人格がなければ「権力」または「金力」を使う価値すらないと語っています。
そして「自己本位」に生きるということは、同時に他者の個性も尊重しなければいけないと話します。それをしなければ「自己本位」は単なるエゴイズムに過ぎなくなると言っています。
③国家主義と個人主義!
漱石は、イギリスという国について、「自分の自由」を愛するとともに「他の自由」を尊敬する国だと話します。それは子供の頃から社会的教育を受け、「自由」には「義務心」が附随すること理解しているからだと語っています。
「個人主義」=「自己本位」は「自由」のもとに存在するが、それには「義務」が生じ、自分の自由を尊重する場合には他人の自由も尊重するべきと話します。そして「個人主義」というものは「国家主義」から真逆に見られるが実は同類のもので情勢により変化すると語ります。
「戦争」――個人の自由が収縮 ⇒ 「国家主義」国家のために尽力する。
↓(情勢により変化)
「平和」――個人の自由が膨張 ⇒ 「個人主義」自己の幸福のために尽力する。
あとがき【『私の個人主義』の感想を交えて】
夏目漱石が講演をした頃、「個人主義」という思想は危険視されていました。そんな中、「個人主義」をテーマに講演をするということは相当の覚悟があってのことでしょう。それくらい当時の日本は「国家主義」へと傾倒していたとも言えます。
世界中を見渡すと、今もなお「国家主義」の名のもとに「自由」を奪われ、もがき苦しんでいる人たちがいます。そういう点において、現代の日本という国に暮らすわたしたちは恵まれていると言えます。幸福のために自分の個性を発展していける時代を生きているのですから。
『私の個人主義』は、そんな「自由」を謳歌する現代人の心にも響く内容となっています。確かに漱石の言うとおりで、自分が「自由」でいたいのなら、他者にも「自由」を与えなければなりません。
けれども、果たしてわたしたちが他者に「自由」を与えているかというと、どうも首を捻らずにはいられません。とにもかくにも、わたし自身社会人になってから読んだ作品ですが、「学生の頃に手に取っていたらなあ」と、読む毎に後悔させられる講演録です。
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