はじめに【日本人と「桜」】
春になるとテレビやラジオのみならず、街中の至るところから “ 桜ソング ” なるものが流れてきます。けれどもそれは今に始まったことではなく、古来より日本人は「桜」に心を奪われ、「桜」と密接した文化を育んできました。
伝統的な文芸の中で「桜」が常にモチーフとして取り上げられてきたことは、 日本人と『桜』【花を愛でるという美しい表現!】 でも紹介しましたが、日本人の「桜観」というものは、多種多様です。
西行法師は
「ねがはくは花のしたにて春死なん そのきさらきの望月のころ」
([現代語訳]願うことには、桜の花が咲いているもとで春に死にたいものです。それも、(釈迦が入滅したとされている)陰暦の二月十五日の満月の頃に。)
と詠み、そのとおりに文治6(1190)年2月15日、73歳で没したのは有名な話ですが、もしかしたら他にも多くの人々が、桜の下で亡くなることを望んだのかもしれません。そう考えると梶井の「桜観」というものが、ふと見えてくるような気がします。
西行(さいぎょう)とは?
西行(俗名:佐藤義清)は、平安末期・鎌倉初期の歌人です。(1118~1190)
北面の武士として鳥羽上皇に仕えますが、23歳のとき出家し西行と名乗ります。奥州から中国・四国までと諸国を行脚するなどして生涯を過ごします。
花と月の歌が多く、独自の歌風は飯尾宗祇、松尾芭蕉らに影響を与え、歌集として『山家集』『異本山家集』『聞書集』『聞書残集』などが残されています(享年73歳)
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梶井基次郎(かじいもとじろう)とは?
梶井基次郎は大正末期から昭和初期にかけて活躍した日本の小説家です。(1901~1932)
大阪市に生まれ、第三高等学校を経て東京帝国大学英文科に入学しますが、結核を病んで中退してしまいます。
在学中の大正14(1925)年、同人雑誌『青空』を創刊し、この年に『檸檬』『城のある町にて』『泥濘』『路上』『橡の花』など、後に梶井の代表作とされる作品を次々と発表しましたが、文壇からは黙殺されました。
昭和元(1926)年には、病状が悪化したため伊豆の湯ヶ島温泉で療養します。この頃、川端康成の『伊豆の踊子』の刊行の校正を手伝います。
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昭和3(1928)年、散文詩『桜の樹の下には』を発表し、ようやく文壇の注目を集めるようになりましたが、病は次第に重くなっていきます。
療養に努めながらも執筆を続けていた梶井でしたが、昭和7(1932)年、『のんきな患者』を発表後の3月24日、31歳という若さで永眠します。その透徹した作風は死後ますます高く評価され、昭和9(1934)年には『梶井基次郎全集』が出版されました。
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『桜の樹の下には』について
『桜の樹の下には』は、昭和(1928)3年12月5日発行の季刊同人誌『詩と詩論』第2冊に掲載されます。その後、昭和6(1931)年5月15日刊行の作品集『檸檬』に一部改変して収録されます。
梶井は、昭和元(1926)年から昭和3(1928)年まで、結核の療養のため、伊豆の湯ヶ島に滞在していますが、昭和2(1927)から宿泊していた温泉宿・湯川屋の近くには景勝地・世古峡があり、そこの断崖に生えていた染井吉野が「桜の樹」のモデルだと云われています。
ちなみに『詩と詩論』に掲載されたときは以下の文章が作品の末文にありましたが、作品集『檸檬』に収録されたときは、梶井自身の手によって削除されています。
-それにしても、俺が毎晩家へ帰つてゆくとき、暗のなかへ思い浮んで来る、剃刀の刃が、空を飛ぶ蝮のやうに、俺の頸動脈へ噛みついて来るのは何時だらう。これは洒落ではないのだが、その刃にはEver Ready (さあ、何時なりと)と書いてあるのさ。
『桜の樹の下には』【全文掲載】
桜の樹の下には屍体が埋まっている!
これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。
どうして俺が毎晩家へ帰って来る道で、俺の部屋の数ある道具のうちの、選りに選ってちっぽけな薄っぺらいもの、安全剃刀の刃なんぞが、千里眼のように思い浮かんで来るのか――おまえはそれがわからないと言ったが――そして俺にもやはりそれがわからないのだが――それもこれもやっぱり同じようなことにちがいない。
いったいどんな樹の花でも、いわゆる真っ盛りという状態に達すると、あたりの空気のなかへ一種神秘な雰囲気を撒き散らすものだ。それは、よく廻った独楽が完全な静止に澄むように、また、音楽の上手な演奏がきまってなにかの幻覚を伴うように、灼熱した生殖の幻覚させる後光のようなものだ。それは人の心を撲たずにはおかない、不思議な、生き生きとした、美しさだ。
しかし、昨日、一昨日、俺の心をひどく陰気にしたものもそれなのだ。俺にはその美しさがなにか信じられないもののような気がした。俺は反対に不安になり、憂鬱になり、空虚な気持になった。しかし、俺はいまやっとわかった。
おまえ、この爛漫と咲き乱れている桜の樹の下へ、一つ一つ屍体が埋まっていると想像してみるがいい。何が俺をそんなに不安にしていたかがおまえには納得がいくだろう。
馬のような屍体、犬猫のような屍体、そして人間のような屍体、屍体はみな腐爛して蛆が湧き、堪まらなく臭い。それでいて水晶のような液をたらたらとたらしている。桜の根は貪婪な蛸のように、それを抱きかかえ、いそぎんちゃくの食糸のような毛根を聚つめて、その液体を吸っている。
何があんな花弁を作り、何があんな蕊を作っているのか、俺は毛根の吸いあげる水晶のような液が、静かな行列を作って、維管束のなかを夢のようにあがってゆくのが見えるようだ。
――おまえは何をそう苦しそうな顔をしているのだ。美しい透視術じゃないか。俺はいまようやく瞳を据えて桜の花が見られるようになったのだ。昨日、一昨日、俺を不安がらせた神秘から自由になったのだ。
二三日前、俺は、ここの溪へ下りて、石の上を伝い歩きしていた。水のしぶきのなかからは、あちらからもこちらからも、薄羽かげろうがアフロディットのように生まれて来て、溪の空をめがけて舞い上がってゆくのが見えた。おまえも知っているとおり、彼らはそこで美しい結婚をするのだ。
※アフロディテ(Aphrodītē) ギリシャ神話で、美と愛の女神。ゼウスとディオネの子とも、また、泡から生まれたともいう。愛神エロスは軍神アレスとの子。ローマ神話のビーナスにあたる。
しばらく歩いていると、俺は変なものに出喰わした。それは溪の水が乾いた磧へ、小さい水溜を残している、その水のなかだった。思いがけない石油を流したような光彩が、一面に浮いているのだ。おまえはそれを何だったと思う。
それは何万匹とも数の知れない、薄羽かげろうの屍体だったのだ。隙間なく水の面を被っている、彼らのかさなりあった翅が、光にちぢれて油のような光彩を流しているのだ。そこが、産卵を終わった彼らの墓場だったのだ。俺はそれを見たとき、胸が衝かれるような気がした。墓場を発いて屍体を嗜む変質者のような残忍なよろこびを俺は味わった。
この溪間ではなにも俺をよろこばすものはない。鶯や四十雀も、白い日光をさ青に煙らせている木の若芽も、ただそれだけでは、もうろうとした心象に過ぎない。俺には惨劇が必要なんだ。その平衡があって、はじめて俺の心象は明確になって来る。俺の心は悪鬼のように憂鬱に渇いている。俺の心に憂鬱が完成するときにばかり、俺の心は和んでくる。
――おまえは腋の下を拭いているね。冷汗が出るのか。それは俺も同じことだ。何もそれを不愉快がることはない。べたべたとまるで精液のようだと思ってごらん。それで俺達の憂鬱は完成するのだ。
ああ、桜の樹の下には屍体が埋まっている!
いったいどこから浮かんで来た空想かさっぱり見当のつかない屍体が、いまはまるで桜の樹と一つになって、どんなに頭を振っても離れてゆこうとはしない。今こそ俺は、あの桜の樹の下で酒宴をひらいている村人たちと同じ権利で、花見の酒が呑めそうな気がする。
『桜の樹の下には』【解説と個人的な解釈】
『桜の樹の下には』が『詩と詩論』に掲載されたとき、詩の欄に置かれたことを知った梶井は、友人たちに「あれは小説だ!」と、苦情を漏らしたといいます。このことを踏まえると本作は散文詩ではなく、語り手の「俺」が「お前」に向けて話す、物語体小説と言えるでしょう。
「俺」は「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」と断言し、その理由を話し始めます。「俺」は、(毎晩、安全剃刀の刃が思い浮かぶ)といった不安定な精神状態に置かれていました。満開の桜は神秘的で人の心をうちます。けれども「俺」にはその美しさが信じられず、反対に憂鬱で空虚な気持ちになっていきます。
「俺」はそんな気持ちを打ち消そうと(桜の樹の下には屍体が埋まっている)ことを想像しました。桜の根は屍体から水晶のような液体を吸い取り、美しい花を咲かせます。そう考えると「俺」を不安がらせていた「桜の美の神秘」から自由になるのです。
さらに「俺」は自分の心象を明確にするため、惨劇が必要だと考えます。そんなある日、「俺」は、何万匹もの薄羽かげろうが、水溜りの上で死骸になっているのを見つけます。そこは産卵を終えた彼らの墓場だったのです。
「俺」の心は和んでいきます。そして「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」ことを現実に実感します。「生」というものは、むごたらしい「死」の上に存在します。「桜の美の神秘」もまた、あらゆる生命の犠牲の上に成り立っているのです。
そう考えた「俺」は、ようやく村人たちと同じように、桜の樹の下で花見の酒が飲めそうな気がしてくるのです。
あとがき【『桜の樹の下には』の感想を交えて】
作品が書かれた当時、梶井はまだ二十七歳の青年でした。けれども重症の結核だったため、人生の大半は病との闘いだったといえるでしょう。ですから梶井は常に「死」と向き合い続けていました。
「死」への不安や恐怖心から生じる「憂鬱」という感情は、多くの梶井作品に見受けられますが、『桜の樹の下には』もそれに当てはまります。満開の桜の美しさ、そして散るときの儚さは人の心を捉えて離しません。
しかし梶井は、その奥にある「桜の樹」の本質を見つめます。そして導き出した一つの答えは “ 美しき生と醜なる死は表裏一体 ” という事です。そして、新たなる生命に息吹を与えるのは死なのだと思い至ります。
わたし自身、そのように考えると、いささか「死」への恐怖心が薄れていくような気がします。まあ、わたくし事はともかくとして、『桜の樹の下には』は、梶井の「死」から解放されたい気持ちと、「生」を求める強い衝動が、複雑に絡み合った作品のような気がします。
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