はじめに【「無気力症候群」(アパシー・シンドローム)について】
「無気力症候群」(アパシー・シンドローム)という言葉をご存知でしょうか。要するに “ なにもする気力が起こらない。意欲が出ない。” といった症状が長期に渡って続くことです。
他にも、感情の起伏が小さくなったり、周囲に無関心になったりするような症状が現れたりもします。これらの反応は、強いストレスから心を守るための逃避行動だとも言われていますが、正直わたし自身も幾度か経験したことがあります。
この症状は、いわゆる「五月病」として紹介されることもあります。「五月病」とは入学や就職にともない新たな環境で生活することで起こる適応障害のひとつです。
けれども最近では、目まぐるしく変化する社会情勢の中、誰にでも起こりうる症状とも言えるでしょう。
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梶井基次郎(かじいもとじろう)とは?
梶井基次郎は大正末期から昭和初期にかけて活躍した日本の小説家です。(1901~1932)
大阪市に生まれ、第三高等学校を経て東京帝国大学英文科に入学しますが、結核を病んで中退してしまいます。
在学中の大正14(1925)年、同人雑誌『青空』を創刊し、この年に『檸檬』『城のある町にて』『泥濘』『路上』『橡の花』など、後に梶井の代表作とされる作品を次々と発表しましたが、文壇からは黙殺されました。
昭和元(1926)年には、病状が悪化したため伊豆の湯ヶ島温泉で療養します。この頃、川端康成の『伊豆の踊子』の刊行の校正を手伝います。
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昭和3(1928)年、散文詩『桜の樹の下には』を発表し、ようやく文壇の注目を集めるようになりましたが、病は次第に重くなっていきます。
療養に努めながらも執筆を続けていた梶井でしたが、昭和7(1932)年、『のんきな患者』を発表後の3月24日、31歳という若さで永眠します。その透徹した作風は死後ますます高く評価され、昭和9(1934)年には『梶井基次郎全集』が出版されました。
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短編小説『泥濘』(でいねい)について
『泥濘』は、大正14(1925)年7月、同人雑誌『青空』第5号に掲載されます。ちなみに『青空』は、東京帝国大学在学中の梶井基次郎、中谷孝雄、外村茂らが創刊しました。梶井の代表作『檸檬』『城のある町にて』等を掲載したことでも知られています。
『泥濘』あらすじ(ネタバレ注意!)
主人公の奎吉「自分」は、家から送られてきた為替を現金に替えるため、本郷に向かうことにしました。雪が降ったあとなので億劫です。けれども、待っていたお金なので、構わず出かけることにします。
最近の「自分」は、書くことができなくなっていました。それでも執念深く止めませんでした。けれども、止めたあと心の状態は悪くなる一方です。何をするにしても億劫になり、何を見ても不愉快になり、何かをやり始めてもぼんやりとするのです。
それはまるで泥の沼にでもはまっているかのようでした。そこに沼の底から湧いてくるメタンのように、嫌な妄想が不意に「自分」の頭を擡げてきます。妄想は「自分」を弱く惨めにしました。
何もする気にならない「自分」は、心を休めようとして、よく鏡や水差しを眺めていました。けれども却って気持ちが淀んできます。何をする気も起きないのはそのままなのです。銀行に着いてもその気持ちは一向に晴れません。
銀行では「自分」の名前がなかなか呼ばれませんでした。係りの人間がぼんやりしていたのです。現金を手にした「自分」は、その足で散髪屋に入ります。ところが釜が壊れていて、石鹸で頭を洗ってもらっても手ぬぐいで拭くことしかできません。
腹が立った「自分」は、友人の下宿に行って石鹸を洗い落とし、しばらく雑談をします。けれどもそのとき、友人の顔が変に遠くに感じるようになっていきます。何かいつもの友人ではないような気もしてくるのです。
友人が「自分」のことを(変だと感じてはいないか)。そんな怖ろしさもありました。友人の家を出たとき「自分」は、苦役を果した後のような気持ちになります。「自分」はそのまま、ちらつく雪の中、古本屋に行きます。
けれども、金がなくケチ臭くなっていたせいか、中々購入する本を決められません。次の本屋に行っては前の本屋で買わなかったことを後悔します。そんなことを繰り返し、結局一番安い文芸雑誌を買いました。
それからお茶の水で定期券を購入し、銀座で茶や砂糖、パン、バターなどを買います。疲れ切っていた「自分」はライオンで食事を取り、体を温めるためにビールを飲むと、少し酔いを覚えました。
※ライオン かつて存在したカフェー・ライオン(Café Lion)のこと。明治44(1911)年に開業し、銀座を代表するカフェーと言われた。
その後石鹸を買いましたが、そのとき「自分」が変だと思い始めます。本当に石鹸が欲しかったのか思い出せないのです。石鹸は「自分」にとって、途方もなく高価な物でした。「自分」は母のことを思います。
「奎吉!」―――自分で自分の名を呼んでみると、悲しい顔つきをした母の顔が脳裏に浮かんできます。舗道の上で「自分」は、「奎吉!」と繰り返します。
ところが、「奎吉」という声に呼び出されて来る母の顔つきが違うものに代わっていきます。―――まるで不吉を司る者が「自分」に呼びかけているかのようなのです。
最寄りの駅を降りた「自分」は疲れ切って歩いていました。両側の街燈が交互に「自分」の影を映し出します。慌ただしい影の変化を追っているうちに、「自分」の眼は、変化のしない一つの影を見つけます。(月の影だな)と、「自分」は思います。
「自分」はなぜか、その影だけが親しいものに思えてきます。月光は雪の積もった風景を照らしていました。その風景を美しく感じた「自分」は、自分の気持ちがまとまっていくのを知ります。先程の親しい気持ちを(どうしてなのだろう)と怪しみながら「自分」は歩きました。
すると、その影を見ているうち、次第に自分を失っていきます。影の中に生き物らしい気配があらわれてくるのです。影だと思っていたのは―――生々しい自分自身だったのです。
「自分」は歩いていきます。そしてこちらの「自分」は、月のような位置からその「自分」を眺めていました。(あれはどこへ歩いていくのだろう?)漠とした不安が「自分」に起こり始めます。
路に沿った竹藪の前の小溝に、銭湯からの湯が流れてきています。湯気の匂いが「自分」の鼻につきます。すると「自分」は、―――しみじみとした「自分」に帰っていたのです。そして、下宿の方へ暗い路を入って行ったのでした。
青空文庫 『泥濘』 梶井基次郎
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『泥濘』【解説と個人的な解釈】(梶井の書簡を踏まえて)
『泥濘』では主に、主人公の神経衰弱的心境が描かれています。これは梶井自身が病気による倦怠感を抱えていたことが作品に反映されていると言えるでしょう。そして、その原因を探りながら街を歩くところまでは梶井が前年に執筆した『檸檬』と内容的に似ています。
違う点は『泥濘』での主人公が自己分裂(自分の影が自分になる)を起こしているところです。それは果たして幻想だったのか作者自身にしか分からないことですが、いずれにしても本作品には梶井の実際にあった出来事や感情が多く盛り込まれています。
大正14年1月30日、近藤直人宛の書簡には次のように書かれています。
今日は大雪です。寒さを冒して本郷へ来ました。散髪屋の釜がわれてゐて頭をろくに洗つてくれなかつたので石鹸の泡をつけてあるいてゐます。
(『全集 第三巻』132頁)
また、小説が書けなくて苦しんでいた心境を、同年5月4日、宇賀康宛の書簡に書いています。
原稿書けず、学校へ出ずに家で苦しむでゐる、もう少しすれば登校出来るやうになる。雑誌は苦しい。
(『全集 第三巻』139頁)
二点の書簡を引用しただけですが、同時期の梶井の日記、または他の書簡にも『泥濘』の内容と一致する点が多く記されています。つまり本作品はある意味、私小説的な側面を持ち、同時に心境を強く前面に押し出した作品と言えるでしょう。
『泥濘』―――このタイトルどおり、奎吉は雪の降ったあとのぬかるんだ道を歩き続けます。その道はまるで奎吉の心境のようでした。足にへばり付いては離れない泥のように、奎吉の内面には重くて暗い何かが潜んでいたのです。
それが物語の後半、影として現れます。つまり自分の分身と言うべきか、もう一人の自分が姿を現すのです。奎吉はそれまで幾度となく心の転換を図ろうとしていました。しかし上手くいかず、ついに自己分裂を起こしてしまいます。
ところが、思わぬことから自分を取り戻すことができます。それは銭湯からの湯気の匂いを嗅ぐといった不意の出来事からでした。こうして奎吉は泥濘から逃れることができたのです。
あとがき【『泥濘』の感想を交えて】
冒頭で無気力症候群(アパシー・シンドローム)について書きました。しつこいようですが、この症状は誰にでも起こりうる症状です。『泥濘』の主人公奎吉も、もしかしたらそうだったのかもしれません。
奎吉の場合は “ 小説を書く ” といった作業に強いストレスとプレッシャーを感じていました。これは完璧主義者ゆえの苦悩と言えるでしょう。完璧主義や真面目な性格の人間は理想を高く掲げがちです。
けれども現実と理想が離れていくにつれ、心が弱っていきます。つまり、完璧主義を目指さず、失敗を気にしないことが無気力症候群の予防になるのです。とは言うものの、性格というものは直ぐに変えられるものではありません。
ゆっくりと時間をかけて、時には休んで自分のしたいことだけをする。そうすれば奎吉のように思わぬところから症状の回復に繋がったりするのです。
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