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太宰治『畜犬談』【芸術家は弱い者の味方だったはず!!】

一読三嘆、名著から学ぶ
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はじめに【犬・猫の「殺処分」について】

 テレビ番組でよく可愛いペットの動画が紹介されていますが、その愛らしい姿に癒されている人も多いことでしょう。このように飼い主から大事に育てられているペットがいる一方で、犬や猫の「殺処分」が社会問題となっています。

 年々減少傾向にあるものの、日本では今も、年間7万匹を超える犬や猫が自治体に引き取られ、2万匹を超える犬や猫が「殺処分」されています。その原因の多くは営利目的の悪質なブリーダー(繁殖業者)や、身勝手な飼い主の飼育放棄によるものです。

 つまり、犬や猫が人間の自己都合で捨てられ、結果的に「殺処分」になっているのです。ともかくとして、そんなニュースを目の当たりにする度毎に、つい思い出してしまう小説があります。

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太宰治『畜犬談』【芸術家は弱い者の味方だったはず!!】

『畜犬談』は短編集『きりぎりす』の中に収められています。

太宰治(だざいおさむ)とは?

 昭和の戦前戦後にかけて、多くの作品を残した小説家です。本名:津島修治。(1909-1948)
太宰治は、明治42(1909)年6月19日、青森県金木村(現・五所川原市金木町)の大地主の家に生まれます。

 青森中学、弘前(ひろさき)高校を経て東京帝国大学仏文科に進みますが後に中退します。この頃、井伏鱒二(いぶせますじ)に弟子入りをし、本格的な創作活動を始めました。しかし、在学中から非合法運動に関係したり、薬物中毒になったり、または心中事件を起こすなど、私的なトラブルは後を絶ちませんでした。

   井伏鱒二

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 一方、創作のほうでは『逆行』が第一回芥川賞の次席となるなど、人気作家への階段を上り始めます。1939年、井伏鱒二の世話で石原美知子と結婚し、一時期は平穏な時間を過ごし『富嶽百景』『走れメロス』『駆込(かけこ)(うった)へ』など多くの佳作を書きます。

 戦後、『斜陽』で一躍、流行作家となりますが、遺作『人間失格』を残して、昭和23(1948)年6月13日、山崎富栄と玉川上水で入水自殺をします。(享年38歳)ちなみに、玉川上水で遺体が発見された6月 19日(誕生日でもある)を命日に、桜桃忌(おうとうき)が営まれています。

    太宰治

短編小説『畜犬談』(ちくけんだん)について

 『畜犬談』は、昭和14(1939)年に、文芸同人誌『文學者(ぶんがくしゃ)』10月号にて発表されます。その後、昭和17(1942)年に発行された短編集『風の便り』に収録されます。

 表題には「伊馬()(へい)君に与へる」と添えられていますが、伊馬鵜平とは小説家・()()春部(はるべ)の旧筆名です。ちなみに太宰と伊馬は友人関係にあり、伊馬をモデルに創作したと考えられています。太宰は『畜犬談』について次のように述べています

『畜犬談』も、いくらか皮膚病嫌悪の小説みたいなところもあるが、甲府では私は本当に野良犬どもに悩まされた。はじめは大まじめで、この鬱憤を晴らすつもりで取りかかったのだが、書いてゐるうちに、滑稽になってしまった。

鬱憤もまた度を越すと、滑稽に止場するものらしい。書き終へて読み返へしてみたら、まるでもう滑稽小説になってしまったので、これは当時のユウモア小説の俊才、伊馬鵜平君に捧げる事にしたのである。
(『畜犬談』あとがき 太宰治)

伊馬春部(いまはるべ)とは?
   伊馬春部

 伊馬春部(旧筆名は伊馬()(へい))は、日本の作家・劇作家です(1908-1984)
福岡県鞍手郡(くらてぐん)木屋瀬村(現:北九州市八幡西区木屋瀬)の商家に生まれた春部は、國學院大學へと進み、折口信夫に師事します。

 昭和7(1932)年に創立したムーランルージュに参加し、伊馬鵜平の筆名で脚本を執筆します。またこの頃に、井伏鱒二宅でデビュー前の太宰治と知り合い、親友となります。

『畜犬談』あらすじ(ネタバレ注意!)

 主人公の「私」(太宰と思われる)は、犬については自信があります。それは “ いつか噛みつかれる ” という自信でした。「私」は常日頃から、犬は猛獣だと思っています。―――昨年の晩秋、「私」の友人(伊馬春部)も犬の被害を受けました。

 友人は何もしていないのに犬の傍を通っただけで、噛みつかれたのです。それから友人は二十一日間の病院通いを余儀なくされたのでした。恐水病(狂犬病)の懸念(けねん)から注射をしなければならなくなったからです。

 「私」は、(これが自分なら、その犬を、生かしておかないだろう)と思います。「私」は、人の三四倍も復讐心が強く、五六倍も残忍性を発揮してしまう男でした。ですから、友人の遭難を聞いた「私」は、日ごろの(ちく)(けん)への憎悪(ぞうお)が極点に達したのでした。

 「私」は、今年の正月、甲府(山梨県)の町はずれに借家を借りて、小説を書きすすめていたのですが、甲府の町はどこに行っても犬がいました。各家(かくいえ)で二匹くらいずつ飼っているのではないかと思うくらいのおびただしい数です。

 友人の遭難以来、犬への警戒を怠らなかった「私」ですが、犬の数が多すぎて用心しきれるものではありませんでした。そこで「私」は、真剣に対策を考えます。先ずは “ 犬の心理 ” を研究します。けれども犬の心理など到底分かるはずもありません。

 絶望した「私」は、拙劣(せつれつ)な手段に出ます。それは、―――犬に出逢ったときは、満面の笑みで、(がい)(しん)のないことを示すことでした。「私」は犬に対し、 “ 優しい人間 ” だということを知らせようと努めます。犬の傍を通る時は、卑しい追従(ついしょう)笑いを浮かべて通りました。

※拙劣(せつれつ) (技術や出来具合が)へたなこと。つたないこと。
※害心(がいしん) 人に危害を与える下心。
※追従笑い(ついしょうわらい) 相手の機嫌をとるために笑うこと。 また、そのような笑い方。

 こうしてむやみやたらと御機嫌をとっているうちに、意外な現象が現れます。―――「私」は、犬に好かれてしまったのです。歩いていると、尾を振って、ぞろぞろ後ろに着いてくるのです。犬嫌いの「私」にとって実に皮肉なことでした。

 早春のことです。「私」が散歩していると二三匹の犬が後ろを着いてきます。いつもなら家に帰る頃には雲散霧消(うんさんむしょう)しているのですが、一匹だけ馴れ馴れしく着いてくる真っ黒な子犬がいました。その子犬は家の玄関まで着いてきて、とうとう「私」の家に住みついてしまったのです。

※雲散霧消(うんさんむしょう) 雲や霧が消えてしまうように、物事が一度に消えてなくなること。

 「私」は仕方なくこの犬を「ポチ」と名付けます。最初の頃は可愛げがあった子犬も、ひと月が経つと駄犬(だけん)の本領を発揮していきました。大飯を食い、下駄(げた)を玩具にして噛み破り、干している洗濯物を引きずり落として泥まみれにしたりするのです。

 また成長するにつれて「ポチ」の見た目は醜くなっていきました。胴が長く手足は極端に短いのです。「ポチ」は「私」が外出する時は必ず影のように着き従ってきました。「変てこな犬じゃ!」と、指をさされて笑われたりもします。「私」は外出する度ごとに憂鬱な気分にさせられました。

 そのうち「ポチ」は、隠していた猛獣の本性を暴露していきます。喧嘩格闘を好むようになったのです。どんな犬にでも飛びかかっていきました。一度は子牛のようなシェパードに飛びかかっていき、そのときは「私」もあおくなりました。

 「私」は喧嘩を好みません。もしも(犬の喧嘩に巻き込まれ噛みつかれて病院に通うはめにでもなったら?)と思うと地獄です。「私」は「ポチ」に機会あるごとに、「喧嘩しては、いけないよ。」と言い聞かせました。

 それが功を奏したのか、それともシェパードとの一戦に惨敗したせいか、「ポチ」は卑屈なほどに柔弱(にゅうじゃく)な態度をとり始めます。他の犬に吠えられると「ポチ」は「いやだ。野蛮ですねえ。」とでも言うように、ひたすら「私」に気に入られようと、上品ぶるようになったのでした。

※功を奏す(こうをそうす) 施策や作戦が、見事に成功すること。 「功を奏する」「奏功する」とも言う。
※柔弱(にゅうじゃく) 気力に欠け、弱々しいあるいはしっかりしていないこと。

 「ひとの顔色ばかり(うかが)っていやがる。」と「私」が言うと家内は、「性格が破産しちゃったんじゃないかしら。」と笑います。「飼い主に、似てきたというわけかね……。」―――「私」は、いよいよ、苦々しく思ったのでした。

 七月の事です。「私」たち夫婦は、東京の三鷹村(東京都三鷹市)に建築途中の借家を見つけ、完成したらそこに移り住むことにしました。「ポチ」は当然、捨てて行かれることになります。家内は、「連れて行ったっていいのに。」と言いました。

 「私」は、「犬に復讐されるのが恐いから仕方なく置いてやっているのだ。」と言い返します。すると家内は、「でも、ちょっと見えなくなると、ポチはどこへ行ったんだろう、と大騒ぎじゃないの。」と言いました。

 「私」は、「薄気味が悪いからさ。あいつは、僕に軽蔑されていることを知っているんだ。あんな犬、東京へ連れていったんじゃ、僕は友人に対して恥ずかしいんだ。」と反論します。結局「ポチ」は置いていかれることに確定します。

 ところがそんな矢先、「ポチ」が皮膚病にかかってしまったのでした。その病状は酷く、炎天下のなか悪臭を放つようになります。家内は「私」に、「ご近所にわるいわ。殺してください。」と言いますが、「私」は「もう少しの我慢じゃないか。」と、(なだ)めたのでした。

 「ポチ」もまた自分の醜い姿を恥じている様子で、暗闇の場所を好むようになります。そんなとき三鷹の家主から「建築が遅れている」という内容の手紙がきました。「ポチ」の皮膚病は酷くなる一方です。「私」は変な焦燥感で、仕事も手につかなくなってしまいました。

 ある夜のこと、「私」は自分の寝巻に犬の(のみ)がいるのを発見します。その瞬間、堪えに堪えてきた怒りが爆発します。「私」は重大な決意を固めました。その決意とは―――「ポチ」を殺そうと思ったのです。

 「私」は、家内に牛肉を買いに行かせ、自分は薬屋で、ある薬品を買い求めました。「私」たち鬼夫婦は、その夜小声で相談をします。そして翌朝、四時に起きた「私」は、「ポチ」を外に連れ出しました。「ポチ」は自身の醜さを忘れ、尾を振って後ろを着いてきます。

 町はひっそりと眠っていました。途中、大きい赤毛の犬が「ポチ」に向かって吠えたてます。「ポチ」は相手にしませんでしたが、その赤毛は「ポチ」の背後から襲いかかりました。「ポチ」は「私」の顔色をそっと伺います。「やれ!」―――「私」は、大声で命令をしました。

 「ポチ」は弾丸のように赤毛のふところに飛び込みます。激しい格闘の末、赤毛はきゃんきゃん悲鳴をあげて逃げて行きました。喧嘩が終わって「私」はほっとします。(俺は噛み殺されたっていいんだ。思う存分、喧嘩をしろ!)と、異様に力んでいた自分がいたからでした。

 「私」は歩き出します。そして立ち止まり、ぽとりと牛肉を足元に落として、「ポチ、食え。」と言いました。ぺちゃぺちゃ食べている音がします。「私」はそのまま帰途につきます。しばらく歩いてから後ろを振り向くと、―――ちゃんと「ポチ」がいたのでした。

 薬品が効かなかったのです。家に帰った「私」は、家内に、「あいつには、罪がなかったんだぜ。芸術家は、もともと弱い者の味方だったはずなんだ。弱者の友なんだ。僕は、ポチを東京へ連れてゆこうと思うよ。友がもしポチを笑ったら、ぶん(なぐ)ってやる。卵あるかい?」と言いました。

 「ええ……。」家内は、浮かぬ顔をしています。「ポチにやれ、二つあるなら、二つやれ。おまえも我慢しろ。皮膚病なんてのは、すぐ治るよ。」「ええ……。」家内は、やはり浮かぬ顔をしていました。

青空文庫 『畜犬談』-伊馬鵜平君に与える― 太宰治
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『畜犬談』【創作の背景】

 『畜犬談』が発表された昭和14(1939)年というと、太宰が井伏鱒二夫妻の媒酌で、石原美知子と結婚式を挙げた年で、破綻していた青年期と決別をし、作家として再起を図ろうとしていた時期です。

 また長期化する日中戦争に伴い、前年の昭和13(1938)年には「国家総動員法」が公布されるなど、国民生活に暗い影を落としていた時期でもありました。それは文学者も例外ではなく、「ペン部隊」といった形で従軍することになります。

 ちなみに作品の題材として扱われている「犬」については、当時「恐水病(狂犬病)」の流行もあって、野良犬が社会問題となっていました。ですから主人公の「私」が「犬」を憎むほど嫌っていても不思議ではないでしょう。

『畜犬談』【解説と個人的な解釈】

 本作を読み進めていくと二つの疑問に突き当たってしまいます。一つめの疑問は、「果たして主人公は本当に犬嫌いだったのか?」といった疑問です。この問いには意見が分かれると思いますが、わたしは個人的に「そこまでの犬嫌いではなかった」と考えています。

 なぜなら「ポチ」が居座るように仕向けているような節が見られるからです。主人公は「復讐されるのが恐いから」と自己弁護していますが、家内に「殺して下さい」と言われたときも「もう少しの我慢じゃないか」と酷く狼狽しているところを見ると、そう感じざるを得ません。

 創作の背景にも書いたように、当時「恐水病(狂犬病)」が社会問題となっていました。一度発症すると99.99%の確率で死に至るといった恐るべき感染症です。この背景があって、まさに「可愛さ余って憎さが百倍」となったと考察します。

 そして、二つめの疑問は、「ポチ」を殺さずに連れ帰ったとき、なぜ「芸術家は、もともと弱い者の味方だったはずなんだ。」と、取って付けたような弁明をしたのかといった疑問です。わたしは「弱い者=ポチ」に、作者・太宰治が自分自身を重ねているような気がします。

 『畜犬談』を発表した頃の太宰は、結婚したこともあり精神的にも安定していました。けれども遡ること数年前までは、パビナール中毒(麻薬中毒)になったり、自殺未遂をしたりしていたのです。このとき太宰は、佐藤春夫、井伏鱒二という先輩作家らに救われます。

   佐藤春夫

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 つまり、皮膚病になった「ポチ」は過去の麻薬中毒だった自分自身であり、救ってくれた人がいたように、今度は小説家として自らの作品で「弱い者の味方になってやろう」と。そんな決意の表れのような気がしてならないのです。あくまで個人的な解釈ですが・・・。

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あとがき【『畜犬談』の感想を交えて】

 『畜犬談』を一言で表すと、太宰自らも語っているように、確かに「滑稽小説」と言えるでしょう。随所に散りばめられたユーモアは読者の笑いを誘います。けれども物語の後半、「ポチ」が皮膚病になった辺りから急に「ミステリー小説」のような緊張感が漂っていきます。

 そして物語の結末、「ポチ」を三鷹に連れて行くことに決めた場面は、さながら「人情噺」を思い起こさせます。このように色んな側面を持つのが太宰文学の特徴とも言えますが、『畜犬談』はそれが顕著に表れています。

 さて、冒頭で、犬や猫の「殺処分」について書きました。経済的な事情により泣く泣くペットを手放す人もいるかと思います。そのように人に関して責めるつもりは毛頭ありません。

 ともかくとして『畜犬談』を読む度に思うことは、一人一人が「弱い者の味方」になろうとする意識が大切なのだということです。それは人間相手にも共通して言えることではないでしょうか。

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