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高齢者から学ぼう!【昔の常識がいまや専門知識】芸能編

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はじめに【松かさより年かさ】

 父親の通うデイサービスで、「クリスマスリース」作りの講習が行われていました。

 そのとき、とあるお婆さんが松ぼっくりのことを「松かさ」と、呼んでいるのを耳にしました。恥ずかしながら人生の半分も生きてきて初めて知った知識です。と、同時に『松かさより年かさ』ということわざも知りました。

 前回、 高齢者から学ぼう!【昔の常識がいまや専門知識】 で、高齢者の皆さんから学ぶべき点の多さに触れました。それから幾度か、その知識の豊富さ、または経験値の高さからくる言葉の重さに、感心することがあったので紹介したいと思います。

『松かさより年かさ』

年長の者は経験が豊富で、判断が的確だということ。「松かさ」「年かさ」とおもしろく語呂合わせしたもの。

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高齢者から学ぼう!【昔の常識がいまや専門知識】芸能編

 少し体調を崩していた父親のお見舞いに、 父親の知人という、白髪の老人が奥さんを伴って訪ねてきた。そのときはタイミングが悪く、あいにく父親は薬を飲んで眠りについたばかりだった。

 白髪の老人は、「女房が退院をしたもので、一応挨拶に来ただけです」。と、お見舞いの品を置いてそのまま帰ろうとした。けれども、まさかそのまま帰らせるわけにはいかない。そんなわけで「お茶だけでも」と、わたしはふたりを家に招き入れた。

 その日は日曜日、テレビで『笑点』が放送されていた。正直に言うと、わたしにはさほど興味のない番組である。たまたま流れていただけだ。台所でお茶の準備をし終えて戻ると、白髪の老人は『笑点』を食い入るように見ていた。

 そんな旦那さんを見ながら奥さんは「この人、落語が好きで昔は良くひとりで寄席に通っていたんです」。と、言った。白髪の老人は、「若き日のはなしです。3代目古今亭志ん朝や立川談志が活躍していた時代ですから」。

落語のはなし

 それから白髪の老人は、現在『笑点』に出演している落語家さんの師匠が誰だとか、そうそう、初代の司会者が立川談志だったとかあれこれと教えてくれた。『笑点』はともかくとして、落語は嫌いじゃないから、わたしも興味深く聞いていた。

 白髪の老人の講釈は止まらない。奥さんはしかめっ面をしている。
話題は落語家から寄席へと移った。「寄席っていうのは江戸時代の慣習が残っていてそれが良いんですよ」。

 「寄席の出入口は木戸と言って、この場所の番人は木戸番、しかも入場料は木戸銭ですからね」。



 落語に興味があると言っても、音源を聞きかじったり動画を見るだけで、寄席に行ったことのないわたしにとって、そのはなしは新鮮だった。木戸とは江戸時代、市中の要所に設けられた警護のための門のことだ。確かに慣習が色濃く残っていて面白い。

 気が付くと『笑点』も大詰、大喜利が始まっていた。
白髪の老人は続けて、「そうそう、この大喜利も寄席の余興として生まれたものなんですよ」。その言葉を受けて奥さんがこう返した。

 「あら、でも元々は歌舞伎が由来なんですけどね!」。

落語の歴史

 落語の始まりは、室町時代末期から安土桃山時代にかけて、戦国大名のそばに仕え、話の相手をしたり、世情を伝えたりする「御伽(おとぎ)(しゅう)」と呼ばれる人たちでした。

 その中の一人、安楽(あんらく)(あん)策伝(さくでん)という浄土宗の僧侶は、豊臣秀吉の前で滑稽なオチのつく「噺」を披露してたいへん喜ばれました。

 江戸時代に入ると有料で噺を聞かせる人物が登場し、大阪では「米沢彦八」、京都では「露の五郎兵衛」、江戸では「鹿野武左衛門」などが活躍しました。こうして、「寄席」が誕生したのです。

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歌舞伎のはなし

 「江戸時代の歌舞伎は長丁場で、一番目に時代物、二番目に世話物と、分けて上演していたんですよ。それで、一番目の最後の幕を大詰、二番目の最後の幕を大切おおぎりと呼んでいたそうです。それが “ 切る ” の文字だと縁起が悪いからと言うので『大喜利』に変わったと聞きました」。

 奥さんの博学さに、わたしが言葉を失っていると、「さっき、わたしを落語好きって言ったけどとんでもない。こいつの歌舞伎狂いに比べたら可愛いもんだよ」。と、白髪の老人が、少しの抵抗を見せた。

 「あら、わたしだってこのところ十何年も行ってないわ。好きなことばかりしていたら愛想尽かされるでしょ。あっ、『愛想づかし』の語源も、歌舞伎で男女が縁を切る場面で使われた表現からきているんですよ」。



 いやはや、この老夫婦の会話には恐れ入った。わたしの勉強不足もあるだろうが、ことごとくが知らないことばかりだった。しばらくしてふたりは家をあとにしたのだが、帰りがけに白髪の老人が小声でわたしにこう言った。

 「退院祝いで歌舞伎に連れて行くことにします」。
 そのタイミングで、隣の部屋から父親の「ゴオ」という、高いびきが聞こえた。

おわり

歌舞伎の歴史

 歌舞伎の始まりは、1603年、出雲の巫女を名乗るお国が京で「かぶき踊り」を披露したことからと伝えられています。お国は男装し、寸劇と歌・踊りでかぶき者が廓の女たちと戯れる姿を描写しました。

 ちなみに、歌舞伎の語源は、『かぶく』という言葉からきています。世の中の習俗や常識に従わず、異様な身なりや言動をする者のことです。お国の踊りは、先端風俗のかぶき者を描いたので、かぶき踊りと名付けられました。

 その後、出雲のお国を真似た踊りを見世物とする団体が多く現れます。ところが、風紀を乱すという理由で幕府は女性の踊りを禁止してしまいます。すると今度は若衆歌舞伎という少年を使った歌舞伎が流行ります。しかしこれもまた、結局は同じ理由で禁止されてしまいます。

 そこで、成人男性だけで演じる野郎歌舞伎が登場し、成人男性が女性を演じる女形が登場することになります。この野郎歌舞伎が現代の歌舞伎の原型となり、現代まで伝わってきたのです。

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あとがき【芽生えた古典芸能への関心】

 本ブログにて、これまで日本の歴史や風土についても思うがままに書いてきました。
けれども、人生を重ねてきた諸先輩方と会話をするたびに、自分自身の無学さを思い知らされるばかりです。

 冒頭で「松かさ」と言っていたお婆さんは、感心するわたしに「そんなの常識でしょ」と、言いました。その通りで、ぐうの音も出ません。

 とりあえず、その常識とやらを学ぶため、寄席や歌舞伎見物にでもチャレンジしてみようかと思う今日この頃です。

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