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古典落語『井戸の茶碗』に見る正直者が馬鹿を見ない理想社会

限られた時間の中でのスローライフ
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はじめに【古典落語にハマったはなし】

 高齢者から学ぼう!【昔の常識がいまや専門知識】芸能編 で、父親の友達から、落語について色々と学んだ一件を書きました。

 歴史小説や時代小説が好きってこともあり、前々から古典落語に興味があったのですが、茶の湯もしかりで、伝統的なものは敷居が高いという印象で、足を踏み込めずにいたという感じでした。これはあくまで、わたしの主観です。

 ともかく、今年こそは寄席に行こうと心に決めていたのです。が、こんなご時世です。諦めかけていたところ、ほんと便利な世の中になったもので、動画で色んな噺家さんの落語が見られます。しかも、タダで。

 そんなこんなで、正月の空いている時間のほとんどを、落語動画の視聴に費やし、すっかりとハマってしまいました。落語好きの方には今更感満載でしょうが、特に3代目古今亭志ん朝の演じる人情物には心を撃ち抜かれました。

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古典落語『井戸の茶碗』

3代目古今亭志ん朝とは?

 3代目 古今亭(ここんてい)()()(ちょう)(1938年3月10日-2001年10月1日)は、東京都文京区本駒込出身の落語家です。本名、美濃部(みのべ)(きょう)()

 戦後を代表する落語家、5代目古今亭志ん生の次男として生まれ、父の志ん生に入門をしてから5年目という異例のスピードで真打に昇進します。

 7代目立川談志、5代目三遊亭圓楽、5代目春風亭柳朝と共に、若手真打の頃から東京における『落語若手四天王』と呼ばれました。また、同世代噺家の中では『東の志ん朝、西の枝雀』とも称されます。

 しかし、2001年10月1日、肝臓がんのため、落語家としてはこれから油が乗るって時期に、63歳という若さで死去してしまいます。


3代目古今亭志ん朝

落語の演目『井戸の茶碗』とは?

井戸(いど)茶碗(ちゃわん)』とは古典落語の演目です。「人情噺」「武家噺」に分類されますが、「滑稽噺」として演じられる場合もあります。

 題である井戸の茶碗(井戸茶碗)は、李朝時代前期に製作された高麗茶碗のことで、日本の茶人に好まれ、「一井戸 二楽 三唐津」と言われた程の名器です。

落語の演目『井戸の茶碗』あらすじ(ネタバレ注意!)

 屑屋(くずや)の清兵衛は、曲がったことが大嫌いで、人呼んで「正直清兵衛」と呼ばれていました。ある日のことです。清兵衛が「屑ぃ~」と、屑屋独特の掛け声で流し歩いていると、歳の頃は十七、八の、身なりは粗末ですが、どことなく上品で、器量の良い娘に声をかけられます。



 清兵衛は娘の招かれるまま、裏長屋に入って行きます。すると、娘の父親から、仏像を買い取って欲しいと頼まれます。ところが清兵衛、骨董の目利きには自信がなく、その申し出を断ります。それでも娘の父親は、無理を承知で何とかと頼むのです。

 娘の父親は、清兵衛に事情を打ち明けます。名は千代田卜斎といい、元は武家の出ながら、落ちぶれて、いまは浪人の身になり果てているのだと。昼は素読の指南、夜は売卜(ばいぼく)生業(なりわい)にしながら、娘と二人、貧乏長屋で暮らしているということも。

 そんな慎ましやかな暮らしも、昨今の長雨で風邪をひいてしまい、薬とかなんやかんやと金がかかり、金が少しばかり入用になったと言います。清兵衛は結局、頼まれるがままに、仏像を200文で引き取り、もしもそれ以上で売れたら、儲けを折半するということで話しをつけました。

 その後、清兵衛は仏像を籠に入れて「屑ぃ~」と、流し歩いていましたが、細川屋敷の長屋下を通りかかったところで、高窓から外を眺めていた若い勤番・高木佐久左衛門に「その籠のなかの仏像はなんだ?」と、呼び止められます。



 高木は清兵衛に、「間近で見たいから(ざる)に紐をつけて降ろすので、それに仏像を乗せてくれ」と、言います。清兵衛もその指示に従います。高木がその仏像を手に取ってみたところ、腹籠(はらごも)り(仏像の中に小さな仏像がある縁起物)であることに気が付きます。高木はこれを気に入り、300文で買い上げることにしました。

 清兵衛が帰った後のことです。高木が仏像を磨いていると、台座の下の紙が破れて、中から50両もの小判が出てきました。それを見ていた中間は喜びますが、高木は「わしは仏像を買ったのであって中の小判を買ったわけではない。だから元の持ち主に戻してやりたい。」と、言います。

 しかし、仏像の持ち主のことは分かりません。手がかりは屑屋の清兵衛のみです。それで高木と中間は、細川屋敷の長屋を通りかかる屑屋に声をかけ、顔を改めて、清兵衛を探すことにします。そんな細川屋敷の様子が、やがて屑屋仲間のあいだで話題になります。
細川屋敷の若侍が、仇を捜しているなどと・・・。



 その噂を小耳にはさんだ清兵衛が、屑屋仲間たちに仏像の一件を話すと、「それはきっと仏像の首が取れたりして、そんなものを売りつけた、無礼な屑屋の首を打とうとしているに違いない。」なんて、好き勝手に無責任なことを言います。

 それから清兵衛は、細川屋敷の前を通るときは、掛け声をしないで素通りをしていたのですが、ある日、いつもの癖でうっかり「屑ぃ~」と、掛け声を出してしまいます。案の定、高木に気づかれ、清兵衛はびくびくしながら屋敷内に招かれるのですが、そこで50両のことを聞かされます。そして、千代田の家に、その50両を届けに行くことになります。

 さて、清兵衛から話を聞いた千代田でしたが「その金は受け取れん」と、言います。自分の不徳によって仏像を手放したのだから、その金も今の持ち主のものだと。清兵衛はそんな千代田を何度も説得しますが、頑として受け取りません。

 清兵衛は仕方がなく高木の元へ帰るのですが、高木も頑として受け取りません。挙句の果てに千代田は「刀にかけても受け取らない。」高木は高木で「刀にかけても受け取らして見せる。」などと、言い合う始末です。困り果てた清兵衛は、千代田の住む長屋の家主のもとに相談に行きます。



 長屋の家主は、「近頃にない良い話だ。」と、仲介を買って出ます。家主の案は、千代田に20両、高木に20両、あいだを取り持って苦労した清兵衛に残りの10両を渡すというものです。

 高木はそれを承諾します。ところが千代田はまたしても拒絶するのでした。そこで家主は、「それなら20両の形になるものを高木に渡したらどうか?」と、提案します。千代田もそれならと、普段から使用している小汚い茶碗を高木に譲るということで騒動は収まります。

 その後、この噂が細川家中にも広まり、ついには細川侯の耳にも入ります。高木は細川侯の目通りを許され、貰ってきた茶碗も見せます。そのとき、たまたま細川家出入りの鑑定家が来ていて『井戸の茶碗』であることに気が付きます。そして、細川侯はその場で、茶碗を300両で買い上げます。

 300両という大金を目の前にして、高木佐久左衛門は考え込んでしまいます。そこで再び清兵衛を呼びつけ、「半分の150両を千代田に届けて欲しい。」と、頼みます。清兵衛はその頼みを渋々ですが受け入れ、千代田のところに150両を届けに行きます。



 ところがやはり、千代田はこれを断ります。そこで清兵衛は、「何でもいいから前みたいに150両の形はないか。」と、尋ねます。すると、千代田に妙案が浮かびました。それは、娘を高木に嫁がせて、150両はその支度金として受け取るというものでした。

 清兵衛から話を聞いた高木は、この提案を快く受けることにします。そこで清兵衛が、「今は裏長屋にいてくすんでいますが、こちらへ連れてきて磨けばいい女になりますよ。」と、高木に言います。すると、高木はこう返します。

 「いや、磨くのはよそう、また小判が出るといけない。」


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あとがき【正直者が馬鹿を見ない理想社会】

 正直さも度が過ぎると “ 馬鹿正直 ” と呼ばれます。または “ お人好し ” とも。
そのような性格の人たちは一概に「騙すよりも騙されたほうがいい。」と、言い張ります。

 古典落語『井戸の茶碗』は、そんな馬鹿正直者たちが、報われる小噺です。
恥ずかしながら、現代社会において、「自分はこのように正直に生きているのだろうか。」と、問われたら、首を横に振るしかありません。

 わたし自身も、ずる賢い者が上手く立ち回って得をするようになっていくといった、言わば “ 正直者が馬鹿を見る ” 世の中にどっぷりと浸かっているのかも知れませんね。

 ともかく、古典落語を通じて、我が身の正直さをふり返ることができたのは幸いです。と、同時に、正直者が馬鹿を見ない理想社会を願うばかりです。そう言いつつ、父親の持っている仏像をこっそり手に持って振ったのはここだけの話です。

 無論、腹籠りではありませんでした。

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