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有島武郎『一房の葡萄』あらすじと解説【救う白い美しい手!】

名著から学ぶ(童話)
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はじめに【「物欲」という厄介なもの】

 物心ついた頃から既に、物欲というものは存在します。わたし自身も、近所の子供が持っていた玩具を見て「どうしてあの玩具が僕にはないの?」と、祖父に言った記憶があります。

 こうした物欲は、幼稚園、もしくは小学校という集団生活を通じて益々巨大なものになっていきます。そして家庭環境に恵まれていない人間は、(あっ、うちは貧乏なんだ)といった現実にいずれ突き当ります。

 子供にとっては大きな分岐点です。
親を恨んだりするかもしれません。または心の捌け口を、別の何かに向けるかもしれません。

 そんなとき、自分のことを理解する誰かがいてくれたら、どんなに楽でしょう。そして優しく抱きしめてくれたら、どれだけ救われるでしょう。

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有島武郎『一房の葡萄』あらすじと解説【救う白い美しい手!】

有島武郎(ありしまたけお)とは?

 有島武郎は大正時代の小説家です。(1878-1923)
明治11(1878)年3月4日、東京に生まれます。学習院初・中等科を経て、札幌農学校(北海道大学の前身)に入学します。

 卒業後の明治36(1903)年に渡米し、ハバフォード大学、ハーバード大学で学びます。その後ヨーロッパにも渡り明治40(1907)年に帰国し、母校(当時は東北帝国大学農科大学)で英語を教えます。

 明治43(1910)年4月、武者小路(むしゃのこうじ)実篤(さねあつ)志賀(しが)(なお)()らと同人誌『白樺』に参加し、『かんかん虫』『お末の死』『二つの道』などを発表します。大正5(1916)年に妻・安子と父を相次いで亡くしたことをきっかけに本格的な作家生活に入ります。

   志賀直哉

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 その後『カインの末裔(まつえい)』『実験室』『小さき者へ』『或る女』『『生れ出づる悩み』などを発表していき、一躍流行作家となります。けれども次第に創作力不振に陥り、悩むようになっていきます。

 大正12(1923)年6月9日、軽井沢の別荘浄月庵で人妻・波多野秋子と心中し、その生涯を閉じます。(没年齢45歳)


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童話『一房の葡萄(ひとふさのぶどう)』について

 有島武郎は、児童雑誌『赤い鳥』の大正9(1920)年8月号に童話『一房の葡萄』を載せました。その後、本作を表題作として全4篇を収録した単行本『一房の葡萄』が大正11(1922)年に刊行されます。

 ちなみに『赤い鳥』は、主宰者・鈴木三重吉が、子供の純性を育むための話・歌を創作し世に広める一大スローガンを宣言し、創刊された雑誌です。

 このモットーに、芥川龍之介、北原白秋、島崎藤村など、多くの第一線で活躍していた作家が賛同しました。その一人が有島武郎です。

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『一房の葡萄』あらすじ(ネタバレ注意!)

 主人公の「僕」は幼い頃、横浜にある西洋人ばかりが通っている小学校の生徒でした。「僕」は絵を描くのが好きでした。ですから、学校の行き帰りはいつも海岸沿いを通り、海の綺麗な景色を目に焼き付け、家に帰ったらそれを描いてみようとしていました。

 けれども「僕」の持っている絵の具ではどうしても上手く表現できない色があります。そのときふとジムという級友が使っている西洋絵具を思い出しました。それは十二色もあり、とりわけ藍と洋紅は驚くほどの美しさでした。

 「僕」はいつもそれを羨ましく思っていました。ジムは絵が下手でした。それなのにその絵の具を使うと見違えるように美しく見えます。「僕」は思います。(あの絵の具さえあれば、海の景色を本当に、海に見えるように描いて見せるのに・・・。)

 ある日のことです。「僕」の心は何だか落ち着きません。ジムの絵の具が欲しくて欲しくてたまらなくなってしまったのです。そんな昼休み、他の級友は運動場に遊びに行き、教室には「僕」しかいませんでした。

 自分の席に座っていながらも「僕」はジムの絵の具のことばかり考えてしまいます。横目でジムの机を見ていると鐘が鳴りました。そのとき「僕」は思わず、吸い寄せられるようにジムの机の所へと行き、藍と洋紅、二色の絵の具を盗んでしまったのです。

―――やがてこのことは、ばれてしまいます。
級友たちに「僕」はしつこく詰問(きつもん)されましたが「持っていない」と言い張ります。けれども、級友の一人が「僕」のポケットに手を差し込み、二色の絵の具は掴み出されました。

 こうして「僕」は敬愛する外国人の女性教師の部屋へと連れて行かれ、悪事のことを告げられます。女性教師は他の級友たちを外に出し、「僕」を優しく抱きしめながら、静かに諭しました。

 女性教師は、次の授業はこの部屋で休んでいてもかまわないと言い、窓から手を伸ばして掴み取った一房の葡萄を「僕」に与えます。そして授業へと行きました。けれども「僕」は、葡萄など、とても食べる気にはなれず、いつまでも泣いていました。

 そうしているうちに「僕」は、いつの間にか泣き寝入りし、目が覚めたときには、すでに放課後になっていました。女性教師は笑顔を見せて、「僕」を優しく慰め、明日は必ず登校するようにと言い、カバンの中にそっと葡萄を入れました。

 翌日「僕」は、いやいやながらも、やっとの思いで登校をします。ところがジムは、そんな「僕」を暖かく迎えてくれて、女性教師の部屋へと手を引いて行きます。

 女性教師は、二人は今から良いお友達になればいいと言い、再び窓から手を伸ばして、一房の葡萄を掴み取ります。それからハサミで真ん中から切り、ジムと「僕」、それぞれの手に持たせてくれました。「僕」はその女性教師の白い美しい手を今でも忘れられません

―以下原文通り―

僕はその時から前より少しいい子になり、少しはにかみ屋でなくなったようです。

それにしても僕の大好きなあのいい先生はどこに行かれたでしょう。もう二度とは()えないと知りながら、僕は今でもあの先生がいたらなあと思います。

秋になるといつでも葡萄の房は紫色に色づいて美しく粉をふきますけれども、それを受けた大理石のような白い美しい手はどこにも見つかりません。

青空文庫 『一房の葡萄』 有島武郎
https://www.aozora.gr.jp/cards/000025/files/211_20472.html

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あとがき【『一房の葡萄』の解説と感想を交えて】

 『一房の葡萄』は有島武郎が、横浜英和学校(現:青山学院横浜英和小学校)に通っていた頃の体験に基づいているといわれています。

 有島武郎は札幌農学校在学中、キリスト教に入信します。そこで教会活動を通して “ 救済の精神 ” を学びます。しかし、信仰への疑問からやがてキリスト教を放棄します。

 けれども現実には “ 救済の精神 ” だけは生涯を通して、捨てていなかったと考えます。そのことは『一房の葡萄』が、死の三年前に書かれていることから察することができます。

 外国人の女性教師の白い美しい手―――それは有島少年にとって救いの手でした。
衝動的とはいえ盗みは盗みです。叱るのは当然でしょう。けれども女性教師は静かに諭します。罪を悔やみ苦しんでいた少年の心を(おもんばか)ってのことです。

 そして少年を優しく抱きしめ、一房の葡萄を手渡してあげます。 “ 救済の精神 ” は、このときに女性教師から葡萄と一緒に手渡されたものでした。ですから、忘れられない思い出になったのでしょう。

 子供の頃に、このような教師、または大人に出逢えたら、どんなに幸せでしょう。いや、わたし達大人全員が、こうなればいいだけなのです。

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