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小川未明『眠い町』あらすじと解説【止められない環境破壊!】

名著から学ぶ(童話)
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はじめに【開発に伴う環境破壊】

 前回、小川未明の童話『とうげの茶屋』を紹介し、開発に取り残されていく地域のことを書きましたが、開発によって人々の暮らしが便利になってゆく一方で、常に環境破壊の問題が提起されてきました。

 現在は特に「地球温暖化」の問題が深刻とされています。
この場でくどくど説明する必要もないでしょうが、だからと言ってわたしたちは便利な暮らしを捨てることができるでしょうか?

 ともかくとして、このような問題は今に始まったことでなく、大正・昭和期と活躍した童話作家・小川未明も、近代化にともなう自然の破壊について心の底から憂いていたようです。

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小川未明『眠い町』あらすじと解説【止められない環境破壊!】

小川未明(おがわみめい)とは?

 小川未明(本名・小川健作)は、大正・昭和期の小説家、児童文学作家です。(1882~1961)
小川未明は、明治15(1882)年4月7日、新潟県中頚城(なかくびき)郡高城村(現・上越市幸町)に生まれます。

 東京専門学校(現・早稲田大学)英文科在学中、坪内逍(つぼうちしょう)(よう)の指導を受け、処女小説『(あられ)(みぞれ) 』 (1905) で文壇にデビューします。またこの頃、逍遙から「未明」の雅号をもらい、「小川未明」という名前で執筆を始めます。

 その後は、短編集『愁人』『緑髪』『惑星』を次々と刊行していきます。大正期に入ってからの未明は社会主義的な傾向を強めていきます。また、この時期に創刊された『赤い鳥』なども影響し、童話も盛んに書くようになっていきます。

 大正15/昭和元(1926)年、『未明選集』全6巻の刊行を機に、童話作家として専念することを決意します。以後、『牛女』『赤い蝋燭(ろうそく)と人魚』『野薔薇』『考えこじき』など、数々の名作を描き続けました。

 昭和36(1961)年5月11日に脳出血のため東京都杉並区高円寺南の自宅で死去します。(没年齢・79歳)

   小川未明

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坪内逍遙(つぼうち しょうよう)とは?

 坪内逍遙(本名・坪内勇蔵)は明治から昭和前期の小説家、劇作家、評論家です。(1859~1935)

 坪内逍遙は、安政6年5月22日(1859.6.22)、美濃国太田村(岐阜県美濃加茂市)の尾張藩代官所役人の家に生まれます。東京大学文学部政治科を卒業し、後に早稲田大学の前身である東京専門学校の教授となります。この頃に小川未明が生徒となり指導をします。

   坪内逍遙

 文芸誌『早稲田文学』(1891)の創刊、シェークスピアの研究・翻訳、また文芸協会を主宰して演劇運動にも尽力するなど、日本近代文学、演劇の発展史に大きな功績を残します。

 昭和10(1935)年2月28日、感冒に気管支カタルを併発し、死去します。(没年齢・75歳)

童話『眠い町』について

 小川未明の童話『眠い町』は、『日本少年』大正3(1914)年5月号に掲載されます。

『眠い町』あらすじ(ネタバレ注意!)

 少年ケーは、〈眠い町〉と呼ばれる不思議な町へやって来ます。どうしてこの町が〈眠い町〉と呼ばれるかと言うと、旅人がこの町へやって来ると、不思議なことに、しぜんと眠りに落ちてしまうからでした。

 この話が人から人へ伝わり、いつしか旅人たちはこの町を通ることを怖れるようになります。ケーは、人々の怖れるこの〈眠い町〉を見たかったのでした。(自分は眠くなっても絶対に眠らない)ケーはそう心に決めます。

 来て見ると本当に気味の悪い町でした。町には活気がなく、音ひとつ聞こえてきません。どの家も戸を閉めきり、まるで町全体が死んだもののように静かなのです。町の中を探検しているうちに、ケーの体は疲れてきました。

 「なんだか疲れて眠くなってきたぞ。ここで眠っちゃならない。」ケーは独り言を言って自分を励まします。けれども麻酔薬を嗅がされたように体が(しび)れてきて、前後も忘れて高いいびきをかいて寝入ってしまったのでした。

 眠っていたケーを誰かが()り起こします。起きると自分のそばに一人のおじいさんが大きな袋をかついで立っていました。そしておじいさんは、ケーに、「私はこの眠い町の主である。お前に頼みがあるのだが、ひとつ私の頼みを聞いてくれぬか!」と言いました。

 「僕の力でできることなら、なんでもしてあげよう。」とケーは言います。喜んだおじいさんは、「私は、この世界に昔から住んでいた人間である。けれど、どこからか新しい人間がやって来て、私の領土を全部奪ってしまった。」と話しました。

 そして、「その人間たちは、私の持っていた土地に鉄道を敷いたり汽船を走らせたり、電信をかけたりしている。こうしてゆくと、いつか地球の上は、一本の木も一つの花も見られなくなってしまうだろう。今の人間は、疲れということを感じなかったら、瞬く間にこの地球上は砂漠となってしまうのだ。」と話します。

 続けて、「そこで私は疲労の砂漠から、袋に〈疲労の砂〉を持って来た。この砂を少し振りかけたなら、そのものはすぐに腐れ、錆び、もしくは疲れてしまう。お前に砂を分けてやるから、これからこの世界を歩くところは、少しずつこの砂をまいていってくれ。」とケーに頼んだのでした。

 おじいさんからの頼み聞き入れたケーは、〈疲労の砂〉を持って地球上を旅して歩きます。そして開発の行き過ぎたところに出会うと砂をまいたのでした。すると鉄道の線路は真っ赤にさび、子どもを引きかけた自動車は止まり、休みなく働かされていた人々は休息をもたらされました。

 こうしてケーは、地球上のいたるところで砂をまきましたから、とうとう砂は無くなってしまいます。「この砂が無くなったら〈眠い町〉に帰って来い。この国の皇子にしてやる。」と言ったおじいさんの言葉を思い出したケーは、〈眠い町〉へと向かいました。

 そして〈眠い町〉に戻って来たものの、前に見た景色とはすっかり変わっています。そこには大きな建物が並び、空には工場からの煙がみなぎっていたのです。そればかりではなく、電線はくもの巣のように張られ、電車は市中を縦横に走っていたのでした。

 この有様を見たケーは驚き、声もたてることもできずに、その光景を見守っていました。

青空文庫 『眠い町』 小川未明
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『眠い町』【解説と個人的な解釈】

 〈眠い町〉と呼ばれる不思議な町にやって来た少年ケーは、その町の主だと言うおじいさんに出会い、〈疲労の砂〉を渡されて、「世界中にまいて欲しい」と依頼されます。その頼みを聞き入れたケーは、言うとおりに世界中で砂をまいて、行き過ぎた近代化を止めます。

 けれども砂が無くなり〈眠い町〉に戻って来たものの、そこにはもはや昔の町の面影はなく、近代化された都市があり、ケーを驚かせたという物語です。内容を踏まえると、『眠い町』は、自然破壊・環境破壊の問題を訴えた童話なのは明らかでしょう。

 と同時に、資本主義社会への批判もこめられた作品と言えます。作品が書かれた大正3(1914)年、小川未明は、貧苦の中で長男の哲文を亡くしています。つまり資本主義、そして近代化がもたらす格差というものを痛感した作者の訴えのようにも受け取れます。

 物語の結末は、変わり果てた〈眠い町〉を見たケーが驚く場面で閉められていますが、少数の者がいくら抵抗しても近代化は止めることができないといった言わば諦めの境地のようにも想像することができます。

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あとがき【『眠い町』の感想を交えて】

 十年一昔と言いますが、本当にそのとおりです。自然豊かでお気に入りだった場所がいつの間にかメガソーラーで埋め尽くされていたり、風力発電が建ち並んでいたりと、そんな光景を目の当たりにしたことはないでしょうか?

 すべてはわたしたちの便利な暮らしのためのものです。今やスマートフォンは生活必需品です。スマートフォンを使用するためにも電力は必要不可欠です。けれどもその便利な暮らしのために自然環境が破壊されていって良いものでしょうか?

 言うなればわたしたちも、『眠い町』のケー少年と同じ境遇にいるわけです。古代中国の思想家・老子は、()るを知る」という言葉を残しています。

 「何事に対しても、 “ 満足する ” という意識を持つことで、精神的に豊かになり、幸せな気持ちで生きていける。」という意味ですが、わたしたちができることは先ず、「足るを知る」ことからでしょうか。

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