はじめに【「マウント」をとりたがる人間の正体】
昨今良く耳にするようになった言葉に「マウント」があります。ちなみに「マウント」とは、自分の優位性を周囲の人々にアピールする行為のことですが、実際わたしの周りにもこのような人間が多く存在しています。
当然ながら「マウント」をとられた方は苦痛でしかありません。ですから、その苦痛を解消するため、今度は自分が「マウント」をとる方に回ったりします。まるで柔術のような「マウント」の奪い合いです。
すべては自分の中にある「承認欲求」に端を発しています。 “ 仕事はそれなりに成功していて、そこそこお金も持っている ” つまり自分的には人よりも「上手くいっている」と思っていることを、周囲と比較して、より明確にしたいだけなのです。
以前に 他人を決して羨ましがらない!【『嫉妬心』と決別する方法】 というブログを書きましたが、「嫉妬心」と同様「承認欲求」という感情は、厄介極まりない感情と言えるでしょう。
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永井荷風(ながいかふう)とは?
永井荷風(本名壮吉)は、明治から昭和にかけて活躍した小説家・随筆家です。(1879‐1959)
荷風は、東京都小石川区金富町((現文京区春日)にて、内務省に勤める久一郎の長男として生まれます。高商付属外国語学校清語科(現 東京外国語大学)に進学しますが、中退します。
若い頃より文学の道を志していた永井は、小説家の広津柳浪や福地源一郎に弟子入りをし、明治35(1902)年に、小説『地獄の花』を発表し、森鴎外に絶賛されます。
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その後、アメリカ・フランスの外遊期間を経て、『あめりか物語』『ふらんす物語』(発売禁止)を発表し、文名を高めます。明治43(1910)年、慶応大学教授となり、雑誌『三田文学』を創刊します。
この頃より、花柳界に入り浸るようになり、『腕くらべ』『つゆのあとさき』などを著すようになります。昭和27(1952)年には文化勲章を受章します。昭和34(1959)年、は胃潰瘍の吐血により、窒息死してしまいます。(享年79歳)
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短編小説『羊羹』(ようかん)について
永井荷風の短編小説『羊羹』は、同じく短編の『勲章』『腕時計』『或夜』『噂ばなし』『靴』『畦道』とともに、昭和22(1947)年5月10日、扶桑書房から刊行された短編集『勲章』に収録されます。
『羊羹』あらすじ(ネタバレ注意!)
新太郎は、銀座の「もみぢ」という小料理屋で、料理方の見習いとして働いていました。けれども二年間の徴兵を経て帰ってきたものの、銀座界隈の状況はすっかりと変わっていました。どこの飲食店も仕入れに窮しています。
それは「もみぢ」も同じで、やがて商売できなくなるものと諦めていました。新太郎もまた(もう一度招集されるかも知れない)との不安から、(それならいっそ自分から進んで軍属にでもなってやろう)と、満州へ行き、その地で四年を過ごします。
※軍属(ぐんぞく) 軍隊に所属する軍人(武官・徴集された兵)以外の者の総称。戦闘に直接関与しない雑役に従事する者。
停戦になって帰ってくると東京はどこも焼け野原でした。「もみぢ」のおかみさんや従業員たちの消息も不明で、探しようがありません。新太郎は市役所の紹介で小岩町のとある運送会社に雇われます。
一二カ月するうちに新太郎は、お金に不自由しなくなりました。身なりも整え、毎日好きなだけ飲食をします。船橋の実家に帰る時には高価な物をお土産に持って行きます。新太郎は、お金に困っていない事を親兄弟や近所の者に見せつけてやりたいのでした。
やがて、それだけで満足できなくなった新太郎は、「もみぢ」のおかみさんや旦那、お客たちにも今の姿を見せてやりたくなります。そこで仕事に行く道すがら、心当たりを訪ね歩いたのでした。
「もみぢ」のおかみさんは、元は赤坂の芸者屋をしていた人で、旦那は木場の材木問屋だと聞いています。新太郎は思います。―――(戦後の財産封鎖でお気の毒な身の上になっているかも知れない……)と。
ある日新太郎は、仕事中に、垢抜けした一人の奥様を見かけます。その奥様は「もみぢ」の常連客でした。奥様は「もみぢ」のおかみさんの疎開先を知っていて、新太郎に住所を教えてくれたのです。
新太郎は、千葉県八幡(現:市原市)の「もみぢ」の疎開先を尋ねに行きます。途中道に迷い、諦めかけていましたが、道端で遊んでいる子供から教えてもらって、どうにかたどり着きました。
教えられた家の潜門を抜けると、広い敷地の奥に新しい二階建ての一軒家があります。勝手口から声をかけようとすると、銀座の店で一緒に働いていた、おちかという女性から「あら。新ちゃん。生きていたの。」と、呼び止められたのでした。
「新太郎が来たって、おかみさんに言って下さい。」と、おちかに話すと、その声を聞きつけて、「もみぢ」のおかみさんが出て来ます。そして新太郎に、「よく来ておいでだ。旦那もいらっしゃるよ。」と、言いました。
座敷に通された新太郎は、お土産に持ってきたアメリカの巻き煙草二箱を、旦那に差し出そうとします。けれども、それよりも先に旦那から同じような煙草を勧められたので、渡しそびれてしまいました。
それから新太郎は、ビールをご馳走になりながら、問われるままに満州から帰って来るまでのことを話します。その間、夕食がちゃぶ台の上に並べられました。見ると、あじの塩焼き、茗荷に落とし玉子の吸い物、茄子の煮付けに香の物は白瓜の印籠漬、食器も皆揃ったもので、ご飯は白米でした。
夕食が終わると、新太郎は、「突然伺いまして。御馳走さまでした。」と言い、暇を告げます。そして何度も頭を下げながら潜門を出ました。新太郎は思います。(何故、元の主人の饗応を嬉しく思わなかったのだろう。何故、失望したような、つまらない気がしたのだろう……)
新太郎は、渡しそびれた煙草を吸いながら、(ブルジョワの階級は全く破滅の瀬戸際まで追い詰められていないのだ。以前楽に暮らしていた人たちは今でも困らずに楽に暮らしているのだ)と思い、自分の現在が得意がるに及ばないような気がしてきます。
新太郎は、急に一杯飲み直したくなりました。けれども見渡すかぎり、酒を売るような店は一軒もありません。喫茶店のような店構えの家に、明るい灯が輝いています。中には羊羹やお菓子が並べられていました。
通る人は立ち止まり、値段の高いのを見て驚いたような顔をしています。新太郎は店に入って行くとこう言いました。「林檎の一番良いやつを貰おうや。それから羊羹は甘いか。うむ。甘ければ二三本包んでくれ。近所の子供にやるからな。」
青空文庫 『羊羹』 永井荷風
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『羊羹』【解説と個人的な解釈】
戦後(第二次世界大戦終結後)、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領下に置かれた日本政府は、昭和21(1946)年2月に、インフレ防止の金融緊急措置令として、預金の一般引き出しを禁じる「預金封鎖」を発動します。続けて3月には、「財産税」が一度限りで導入されます。
物語の中で「財産封鎖」と語られているのはこの事で、実際にはこの政策により窮状に陥った人間も数多くいました。それでも元々財産のあった人間はまだ良い方で、特に原爆や空襲に遭った庶民は全ての物を一瞬で失います。
このように大多数の人間が貧しかった中、幸いなことに新太郎は職を得て、お金に困らない生活をしています。新太郎は、戦争で貧富の格差がリセットされたものと考えています。ですから、言わば「勝ち組」にでもなったような優越感に浸っていました。
ところが会いに行ってみたら「お気の毒な身の上」になっていると想像していた元の主人は、全然生活に困っていませんでした。新太郎は複雑な感情を抱いたまま訪問先を後にします。そして、(以前楽に暮らしていた人達は今でもやっぱり困らずに楽に暮らしているのだ)と思います。
新太郎は、得意がっている今の自分が馬鹿馬鹿しくなってきます。そんなとき、値段の高い羊羹を買えずにいる人たちを尻目に、羽振りの良いところを見せつけて、またもや優越感に浸るのです。
あとがき【『羊羹』の感想を交えて】
冒頭で「マウント」について書きましたが、そもそも「マウント」をとる相手とは、いつも決まって手の届く身近な人間に限られます。圧倒的な成功を収めている実業家や著名人相手に「マウント」をとる人間などいません。つまり、傍から見たら「どんぐりの背比べ」に他ならないのです。
『羊羹』の主人公・新太郎も「マウント」をとって「優越感」に浸りたかったのでしょう。それはかつて抱いていた「劣等感」の裏返しだったのかも知れません。「もみぢ」で雇われる立場として、雇う側のおかみさんや旦那さんを羨んでいたのです。けれども再会した新太郎は「劣等感」を増幅させただけでした。
今の時代も同じですが、富裕層には富裕層だけのコミュニティがあり簡単には没落しないようにできています。そのことを思い知った筈の新太郎ですが、懲りずに自分の置かれたコミュニティで再び「マウント」をとりにいきます。
このように他人と比べて一喜一憂するような生き方では、ただただ心と身体を擦り減らすだけです。ともかくとして、「自分は自分、他人は他人」と割り切ることが人間にとって大事な心構えのような気がします。
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