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太宰治『清貧譚』あらすじと解説【私欲を捨ててまで守るもの?】

一読三嘆、名著から学ぶ
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はじめに【そもそも『清貧』とは?】

 『清貧』という言葉を辞書で引くと、「貧乏だが、心が清らかで行ないが潔白であること。余分を求めず、貧乏に安んじていること。」と、出ています。

 このように美しく生きられたらと、わたし自身も心底思っているのですが、いかんせん、今の世の中は綺麗ごとばかりでは生きていけません。現実問題、ほとんどのことは、お金で解決できます。

 しかしながら、心のどこかで、『清貧の思想』を持って生きていきたいと思う自分もいます。矛盾だらけなのは分かっています。多分同じように、自分自身と折り合いをつけて、誰もが生きているのでしょう。

福沢諭吉『瘠我慢の説』【身の清潔さ・貧しさこそが誇り!】

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太宰治『清貧譚』あらすじと解説【私欲を捨ててまで守るもの?】

『清貧譚』は短編集『お伽草紙』(新潮文庫)の中に収められています。

太宰治(だざいおさむ)とは?

 昭和の戦前戦後にかけて、多くの作品を残した小説家です。本名・津島(つしま)(しゅう)()。(1909~1948)
太宰治は、明治42(1909)年6月19日、青森県金木村(現・五所川原市金木町)の大地主の家に生まれます。

 青森中学、旧制弘前(ひろさき)高等学校(現・弘前大学)を経て東京帝国大学仏文科に進みますが後に中退します。この頃、井伏鱒二(いぶせますじ)に弟子入りをし、本格的な創作活動を始めました。しかし、在学中から非合法運動に関係したり、薬物中毒になったり、または心中事件を起こすなど、私的なトラブルは後を絶ちませんでした。

   井伏鱒二

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 一方、創作のほうでは『逆行』が第一回芥川賞の次席となるなど、人気作家への階段を上り始めます。昭和14(1939)年、井伏鱒二の世話で石原美知子と結婚し、一時期は平穏な時間を過ごし『富嶽百景』『走れメロス』駆込(かけこ)(うった)へ』など多くの佳作を書きます。

 戦後、『斜陽』で一躍、流行作家となりますが、遺作『人間失格』を残して、昭和23(1948)年6月13日、山崎富栄と玉川上水で入水自殺をします。(享年38歳)ちなみに、玉川上水で遺体が発見された6月 19日(誕生日でもある)を命日に、桜桃忌(おうとうき)が営まれています。

    太宰治

 太宰治の故郷・青森県(津軽)にご関心のある方は下記のブログを参考にして下さい。

太宰治『津軽』要約と聖地巡礼!【序編―青森市・弘前市・大鰐町】
太宰治『津軽』要約と聖地巡礼!【本編①-外ヶ浜町・今別町】

『清貧譚(せいひんたん)』とは?

 『清貧譚』とは、太宰治の短編小説で、中国の清代前期の短編小説集『(りょう)(さい)()()』の中の一篇を元にして創作されています。

 なお、『聊斎志異』(北隆堂書店、1929年11月10日、田中貢太郎訳・公田連太郎註)は、もともと妻の美知子の愛読書で、美知子が1939年(昭和14年)1月に太宰と結婚した際に持参したものの一つといわれています。

 ちなみに太宰は同書をもとに『竹青』(『文藝』1945年4月号掲載)という短編も書いています。

『聊斎志異(りょうさいしい)』とは?

 『聊斎志異』は、中国の清代前期の短編小説集で、作者は()(しゅう)(れい)です。(1640~1715)

 蒲松齢の残した『聊斎志異』は文語怪異小説集の傑作といわれ、現行本一六巻、四四五編が収められています。所収編はすべて神仙、狐、鬼、化物、ふしぎな人間などに関係した物語や異聞の記録的短編です。


   蒲松齢

『清貧譚』あらすじ(ネタバレ注意!)

 むかし江戸の向島あたりに、馬山(まやま)才之助という名前の男が住んでいました。才之助は三十二歳になりますが、いまだに独身でした。

 ひどく貧乏なのもありますが、“ 菊の花狂い ” なのも理由のひとつにあります。どこかに()い菊の苗が在ると聞けば、どんなに遠くても、必ず買い求めに行きます。

 初秋のころです。伊豆の沼津あたりに佳い苗があると聞いた才之助は、早速箱根の山を越えて、四方八方を捜しまわり、やっと見事な苗を手に入れることができました。

 才之助はその苗を、まるで宝物のように大事に扱い、ふたたび箱根の山を越えて江戸へと帰ります。その途中、小田原にさしかかったとき、ぱかぱかと背後に馬蹄ばていの音が聞こえてきました。

 才之助は菊の良種を得たことで有頂天です。ですから、そんな馬の足音は気にしませんでした。けれども、小田原を過ぎて何里行っても、相変らず同じ間隔で、ぱかぱかと馬蹄の音がついて来ます。

 そこで才之助も初めて変だと気がつきました。振り返って見ると、美しい少年が痩せた馬に乗って、そんなに離れていないところを歩いています。少年は馬から下りて、「いいお天気ですね。」と言いました。才之助も「いいお天気です。」と返します。

 それから、才之助と少年は肩をならべて歩きました。道中での会話のなかで、才之助は旅の目的を語って聞かせます。すると少年は急に目を輝かせます。少年もまた菊の栽培に心得があるようでした。

 二人は菊のはなしに熱中します。少年の菊に関する知識は相当なものでした。しかも、並々ならぬ経験も感じられます。才之助も躍起になって菊のことを話しますが、言えば言うほど自信を失うばかりです。

 そこで才之助は、(実際に、自分の作った菊の花を、見せるより仕方がない)といった結論に至ります。そして「江戸の私の家まで一緒にいらして下さいませんか。ひとめでいいから、私の菊を見てもらいたいものです。」と提案をします。

 けれども少年は急に、真面目な顔をして考え込んでしまいます。そして、自分の名を「沼津の者で、陶本(とうもと)三郎と申します。」と、打ち明けます。

 続けて、「急に姉がどうしても江戸へ出たいと言います。けれども、江戸に行ったからといって、これといった宛もございません。考えてみれば、今の私たちは菊の花どころでは無かったのです。」と、淋しそうに言いました。

 才之助は、そんな少年の袖を掴んで、「そんな事情なら、私の家に来てもらわなくてはいけない。貧乏だが君たちを世話する事くらいは出来る。まあ、いいから私に任せて下さい。ところで、姉さんも一緒だとおっしゃったが?」と訊ねます。



 見渡すと痩せ馬の陰に、旅姿の娘がいました。それを確かめた才之助は、顔を赤らめます。才之助の熱心な申し入れを、姉と弟は、受け入れることにしました。二人は才之助の家の納屋を仮の住まいとします。

 才之助の家は、想像以上に貧しく、荒れ果てています。それを見た陶本の弟は「とんだ人の世話になっちゃったね。」と、言います。けれども姉は「私は、ここが気にいったわ。」と言って、顔を赤くしたのでした。

 その翌朝のことです。姉弟の連れてきた痩せ馬がいなくなっています。しかも、才之助の菊畑は酷く荒らされていました。そのことで口論をしていた才之助と陶本の弟に、姉はこう言います。

 「私が、逃がしてやったのです。それよりもこの荒らされた菊畑を、すぐに手入れしておあげなさい。御恩を返すいい機会じゃないの。」

 弟は渋々と、菊畑の手入れに取りかかりました。すると、もはや枯れ死しかけている菊も、三郎の手にかかると、まるで新たな生命を宿したかのように生き返ります。それを見た才之助はひそかに舌を()くのでした。

 その夜、陶本三郎が才之助にある提案をします。それは、「私に半分でも畑をお貸し下されば、いい菊を作って差し上げますから、それを浅草あたりで、お売りになったらよろしい。」というものでした。

 そんな三郎の提案に才之助は、「菊を凌辱(りょうじょく)するとは、この事です。おのれの高い趣味を、金銭に換えるとは汚らわしい。お断り申す。」言い放ちます。

 続けて、「菊畑の半分は貸しましょう。自由にお使い下さい。ですが、菊を売るといった下心のある人たちとは、お付き合いできません。」そう言って、才之助は菊畑の境界に高い生け垣を造り、お互いを見えなくしてしまいます。

つまり、―――両家は絶交したのでした。

 やがて秋がやってきました。才之助の畑の菊も、見事な花を咲かせました。しかし、どうもお隣の畑が気になってたまりません。ある日、才之助はそっと覗いてみます。すると、今まで見たことのない大輪の菊が畑一面に咲き揃っているのでした。

 しかも、納屋は綺麗に修理されています。才之助は心中穏やかでいれません。(きっと菊を売って儲けたに違いない。けしからぬ)と、義憤やら嫉妬に駆られ、ついには生け垣を乗り越えてしまいました。

 花一つ一つを、見れば見るほど、よく出来ています。才之助は思わず「ううむ。」と唸ってしまいました。そのとき「お待ちしていました。」と、背後から声をかけられます。振り向くとそこに、陶本の弟が立っていました。

 才之助は素直に負けを認め、「どうか、君の弟子にして下さい。」と言いました。三郎も「あなたのような潔癖の精神は持っていませんが、菊でも売らなければ、のたれ死にするばかりなのです。どうか、お見逃し下さい。」と、頭を下げます。

 こうして、両家の往来が始まったのですが、時々議論は起きます。そうしているうちに、陶本の家はいよいよ富んでいき、翌年には大邸宅の建築に取りかかります。



 才之助は、再び隣家との絶交を考え始めます。そんなある日、三郎が才之助にーーー「姉さんと結婚して下さい。」と、思いつめたような口調で言いました。

 正直、才之助も初めて見たときから、三郎の姉に好意を抱いていました。けれども素直にそのことを口にできません。「清貧が、いやでなかつたら、いらっしゃい。」と、変な男の意地を見せるばかりです。

 その夜のことです。才之助の汚い寝所に、三郎の姉がやってきてこう言います。「清貧は、いやじゃないわ。」ーーー三郎の姉の名前は、黄英(きえ)といいました。

 二人はしばらく茅屋(ぼうおく)に住んでいましたが、黄英は、陶本の家と繋げて、両家が往来できるようにしてしまいました。それから、あれこれと必要な道具を、才之助の家に持ち運んで来るようになります。才之助はそれが面白くありません。

 ある夜のことです。「私の三十年の清貧も、お前たちの為に滅茶滅茶にされてしまった。」と、才之助は、しみじみ愚痴をこぼしてしまいます。

 黄英は、「三郎も、あなたの御恩に報いるために菊作りに精を出しているのです。どうしたらいいのでしょう。」と、泣き声で訴えます。才之助は「別れるより他は無い!」と、心にもないことを言ってしまいます。

 そして才之助は、「私がこの家を出て行きましょう。あの庭の隅に小屋を作って、そこで清貧を楽しみながら寝起きする事に致します。」と宣言します。

 才之助は宣言どおりに、一坪ほどの小屋を作って、そこで寝起きをしてみます。けれども、二晩ほど、清貧を楽しんでいたら、どうも寒くてたまらなくなってきます。三晩めにはとうとう、我が家の雨戸を叩いたのでした。

 それから才之助は、深く恥じて、強情も言わなくなりました。家のことは全て黄英と三郎に任せるようになります。そんなある日、三人で墨堤の桜を見に出かけます。

 才之助は持参した酒を飲み始め、三郎にもすすめます。姉は飲んではいけないと目配せをしましたが、三郎は盃を受けます。そしてこんな妙な事を言います。

 「姉さん、もう私は酒を飲んでもいいのだよ。お金もたくさん溜まったし、私がいなくなっても姉さんたちは一生遊んで暮らせるでしょう。菊を作るのにも飽きちゃった。」

 やがて、三郎は酔いつぶれて、寝ころんでしまいます。すると、三郎の身体は、みるみるうちに溶けて、あとには着物と草履だけが残ってしまいました。

 才之助は驚愕して着物を抱き上げてみると、その下の土に、水々しい菊の苗が一本生えています。

―以下原文通り―

 はじめて、陶本姉弟が、人間でない事を知つた。けれども、才之助は、いまでは全く姉弟の才能と愛情に敬服してゐたのだから、嫌厭けんえんの情は起らなかつた。哀しい菊の精の黄英を、いよいよ深く愛したのである。

 かの三郎の菊の苗は、わが庭に移し植ゑ、秋にいたつて花を開いたが、その花は薄紅色で幽かにぽつと上気して、嗅いでみると酒の匂ひがした。



 黄英のからだに就いては、「亦他異無し。」と原文に書かれてある。つまり、いつまでもふつうの女体のままであつたのである。

青空文庫 『清貧譚』 太宰治
https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/2275_15068.html

『清貧譚』【解説と個人的な解釈】

 才之助は貧乏ですが、「菊を愛する」生活に満足した日々を送っていました。けれども三郎姉弟の出現によりその生活は揺らいでいきます。先ず「菊作り」で三郎に敗北し、自尊心を傷つけられます。

 さらに才之助の信条とも言える「清貧」という点で三郎とは相いれず、姉弟と確執を深めていきます。ところが結果的に、「清貧」とは真逆の「菊を売る」ことで富を得た三郎のおかげで、姉の黄英とも結婚ができ、才之助は一生遊んで暮らせるほどの財産まで手に入れます。

 結果的に才之助は、主張し続けた清貧」を引っ込めざるを得なくなります。物語のオチは、三郎姉弟が「菊の精」だったということですが、「菊の精」として死んだ三郎に対し、黄英は「菊の精」を捨て、人間として人生を歩みます。

 さて、才之助の “ 菊づくりは誰のためにしていたのでしょうか? ” 改めて言う必要もないですが、自分の心を満たす為です。『清貧』を口にするのなら、私欲は捨てなければならなかったのです。ここに、ひとつの矛盾点が見つかります。

 『清貧譚』が書かれた昭和十五年当時の太宰治は、妻・美知子を伴侶にし、新生活を始めたときでした。また、『走れメロス』などの作品を執筆して、職業作家としての階段を上り始めた頃でした。

 もしかしたら太宰は、才之助を通して、自己の芸術への矛盾点を指摘していたのかも知れません。

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あとがき【『清貧譚』の感想を交えて】

  太宰治青森の疎開の家(旧津島家新座敷)

 「趣味と実益を兼ねて」―――このようなことをさらりと言える人間もいますが、大抵の趣味というものは実益を生まないものです。『清貧譚』の主人公、才之助のように自己満足をしているだけでしょう。

 けれども、その趣味を芸術の域まで高められたら話が変わってきます。「好きこそ物の上手なれ」ということわざがあるように、追求し続けていたら、やがて実益を生み出す可能性があります。

 現代社会を俯瞰して見ると、わたしも含め、大半の人間が三郎のように実益を求めて生きています。資本社会の中に放り込まれているのですから、それは当然でしょう。けれども一方で、才之助のように生きられたらどんなに幸せなことかと思ったりします。

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